あれから5年たち、感じること

家族の記録

養子縁組 自閉症児のパパになるーはるの陽日記 : 自閉症&潔癖症  世間・社会との葛藤 (新しいタブで開く)

 上のリンクは、(「Twitterの固定ツイート」にしていたこともあるかと思いますが)リンククリック数が5万件近くになり、引用リツイートも沢山の方にして頂きました。一部、批判的なご指摘も頂きましたが、おおむね評価を頂くことも出来ました。自分のライブドアブログの中でも、このページだけが飛躍的に伸びましたし、他のページも含めて多くの方がこのサイトに来て頂きました。心から感謝しています。ありがとうございました。

 この写真は、僕の息子が小学4年生のころの写真です。毎月お誕生日で撮った写真です。今は、中学2年生になり、背丈ものび、見るからにお兄ちゃんになりました。そして、この5年間は、僕ら家族には前のめりの時間であり、前のめりに踏ん張った結果、「小さな幸せ」を収穫することが出来るようになりました。

 もっともきつい時期は、小学4年生、5年生、6年生…でした。この3年間は家庭が崩壊するような危機に直面もしました。毎日が葛藤でした。そして、苦痛の日々でもあり、「もうこの苦しみから抜け出すことは出来ない」そんな気持ちになりながら、前に進んだ日々でした。そのころに、もがき苦しみながら、できるだけ悟られないように書いたのが、上のリンクのブログたちでした。

 「今日のブログは「社会」に読んでほしいと思います」

 こんな出だしで始めたブログでした。社会に対して「障害児の理解をしてほしい」という気持ちではなく、「障害児家族の葛藤を理解してほしい」という気持ちで書きました。そして、それを書いた意図は、「家族の愛情が障害のある子にとっての一番の療育だ」という思いからでした。「家族が幸せにならないと、子供も幸せにならない。いくら療育ときれいごとを言ったって無駄だ」そう信じていました。

 家族の愛情を保つには、保護者様や兄妹の精神面の安定が何よりも必要なのですが、そこが成しえないことが多く、どんなに子供を愛していても綺麗ごとでは済まされず、うまく機能しない時があります。うちの場合の主体はママであり、ママの気持ちのバランスが崩れてしまうことで家族全体が崩れてしまうことが多いと感じていました。ただ、その発端は「僕」に責任があると思っていました。

  • 僕がもっと子育てを手伝えたら妻はもっと落ち着いて子供に向き合えるのに…
  • 不用意な一言を言ってしまった。妻は疲れていたのに…
  • 自分が障害の理解がないことで妻が余計にストレスを感じてしまったのかもしれない…
  • 子供のことに対して感受性で向き合えていない自分が悪い…妻は悪くない。
  • もっと自分の息子のために生きろ。お前では力不足だ。妻に申し訳ない。

 そんな感じで思うようにして生きてきました。要は、すべて「俺が悪い」と思うことにしていました。妻は無慈悲でした。いろんなことが起こって、明らかにそれが妻の失敗であっても、僕を攻めたてました。物も飛びました。「出ていけ」と何度言われたことか。そして、今は離れた方が気持ちが落ち着くかなと思い、出ていこうとすると…「出ていくのか。無責任!」と怒鳴られました(笑)また、時に子供に当たっていました。叩きはしないのですが、めちゃくちゃ怒ってました。うちの場合は、「子供のことでうまくいかないことが起こると、妻のメンタルが崩壊する。妻のメンタルが崩壊すると、さらに子供がおかしくなる」という悪循環の渦中にありました。

 ただ、上の箇条書きを見て、人はどう思うのでしょうか。「良い旦那」と思うのか「気持ち悪い旦那」と思うのか。僕だったら、後者なんです(笑)そこまで耐えるのか…と気持ち悪い。息子の担当の心療内科医に相談した時、「いつでも逃げ出してください」と言われてました。「あなたの人生が狂っていく」と。

 でも、妻は「それほどまでに追い込まれていた」のです。子育てに力が入りすぎていて、社会の視線におびえ、我慢に耐え続け、睡眠も削り、「自分が何か悪いことをしたのか!」「自分だって一生懸命やっているのに」「神様を私は絶対に許さない」という気持ちを抱きながら、子育てをしていました。「自分だけが子供を守る」と強く強く思いながら

 僕が「お前の責任じゃない。俺の責任だ」と全部を置き換えていかないと妻の心が保てないのを僕は知っていたのです。妻の気持ちの回復には、そこまで自分が背負う覚悟が必要でした。そして、長い時間がかかるのも分かっていました。結婚してすぐだったので、逆に良かったのかもしれません。結婚した時に、「長い目で物事を考えていく」という決心をしていたからでした。妻との関係だけでなく、息子との関係も、とにかく「長い目」で考えていました。「10年後に、パパと呼んでくれたらそれでいい。そこまで耐えてやろうじゃないか」と。

それからは、「1歩下がって2歩下がる」という下がりっぱなしじゃん!という日々でした(笑)でも時に息子と妻の頑張りで「5歩くらい進む」ことがあって、やっと今に至っています。自分で言うのもなんですが「いつかきっと。柔らかな日々がくる」と信じて、そのイメージを大切にしていきたことが良かったんじゃないかなと、今は思います。

 また、妻を批判的に書いているつもりはありません。実際に、妻の心は澄んでいます。もともと心の優しい妻です。とても純粋な妻です。息子のことで、悩み、もがき、苦しんだ結果の精神的不安定…それを僕は知っていました。僕は性善説派なんですね。「性善説とかいうなよ」とくだらない理屈に感じるかもしれませんが、僕は人を見る時に、その人の歴史を見ると決めています。歴史を感じると「善」になることが多いんですね。そうやって妻を見つめた時に、「妻の心は綺麗」だったんです。だから、「いつかきっと」に自信が持てていたし、それが支えになったのでした。

 あれから5年たち、自信をもって言えることは「僕は幸せです」ということです。結婚にも双方の両親からの反対もありましたし、身内からの寂しい言葉もありました。世間と向き合ってみて、常識はずれとみられることも、蔑んだような目で見られ泣いた日もありました。特に息子に強迫性障害が出始めた時の苦しさは忘れられません。また、上述のように苦しい時間の中には、数えきれないほどの悩みとその葛藤と挫折もありました。

ーでも、僕は今…しあわせなんです。

 そして、その渦中の時でも、「ぼくはしあわせ」と何度も言っていました。言霊ってすごいなと思います(笑)実際にしあわせになった。

 読者さんの中には、今も沢山悩んで、苦しい人もいるかもしれません。ただ、忘れないでほしいなと思うことがあります。たどりつく先がどんな未来かは分かりませんし、どんな形なのかも分からないのですが…信じてほしいなと思うことがあります。それは…

「あなたは、いつかきっとしあわせになる」という言葉です。

 無責任な言葉、厚かましい言葉、お前に言われたくない言葉かもしれません。でも、「そう信じてほしいな…」と思います。

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