
障害児の子育てで心ない言葉に傷つく親へ|身内や夫からの言葉、孤立の悪循環を乗り越える方法
障害児ママへのエール「大変ね」で傷ついていた妻
障害児を育てるパパやママは、時に思いもよらない一言で深く傷つき、苦しむことがあります。
筆者にとって、妻の言葉で一番印象に残っているのは、「『大変ね』という優しい言葉が(優しさから来ているのは知っているけれど)案外きつかった」と打ち明けられた時でした。
「みんなの子は、『可愛い、可愛い』と言ってもらえるでしょ。でも、私の息子の場合…『大変ね』なの。私にしてみたら、大変なんかじゃなくて、可愛いだけなのに…」と涙ぐみながらに妻は語りました。それを聞いた時に、僕はハッとしました。「自分も同じような言葉を投げかけていなかっただろうか?」と不安に駆られたのです。
障害児のママは、想像以上に繊細になります。健常者の立場から投げかける「優しい言葉」でさえ、時に苦しい言葉へと変わってしまう現実があるのです。
外部からの無理解な言葉と他者との比較で生まれる苦悩
外出先で息子と一緒に社会の目に触れると、保護者は結果的に冷たい言葉に震えあがることも少なくありません。言葉だけでなく、どうしても自分の子と他人の子を比較してしまい、深く落ち込んでしまうこともあります。
このような外部からの声だけでなく、親にとってさらに辛いのが、身内からの心ない言葉です。
障害児の親を深く傷つける「身内からの言葉」の現実
義実家・実家からの残酷な一言に耐える親たち
障害児の保護者にとって、最もつらいのが身内からのひどい言葉ではないでしょうか。
- 義理の母からのきつい一言
- 実の父からの悲しい一言
- まさかの夫からのバカな言葉
身内だからこそ、理解と手助けを期待し、温かい言葉や寄り添った言葉を求めるものです。
しかし、現実は「悲しい言葉」を浴びせられるケースが少なくありません。もちろん、すべての家庭がそうではありませんが、そういった厳しい現実を抱える家庭があるのも事実です。
幸いにも、私の両親や妻の両親は心の温かい人たちですが、妻は当初、身内との関係に強い不安を感じていました。私の両親に会う時は、ひどく怯え、不安そうな顔をしていました。まだ起こってもいない誹謗中傷を想像して、逃げ出そうとまでしていたのです。「本当に息子を受け入れてもらえるのだろうか。受け入れてくれそうだったけれど、本音は分からない」と、深い疑心暗鬼に陥っていました。
「親類の集まりに連れてこないで」…障害児への差別と孤立
身内との付き合いが辛いと感じる障害児の親は、実は少なくありません。私の知り合いの中には、こんな悲しい言葉を言われる経験をした人がいます。
- 「親類の集まりには子供は連れてこないようにしてね」
- 「もう少し良い子になってから連れて来るようにしてね」
- 「黙って座ることすらできないのね。躾もできないなんてすごい親ね」
これらが実の母親から言われることもあり、あまりの苦しさに発狂しそうになる保護者もいることでしょう。
出生前診断後の「なぜ早く分からなかったの?」という非難
さらに辛いのは、お子さんが生まれる前から批判的な身内もいることです。ダウン症の子の場合、生まれる前に診断が確定することもありますが、その際に義理の母から「何でもっと早く分からなかったの、もう遅いじゃない」と言われたという話を聞いたことがあります。妊娠中のその方は「え?それってどういう意味?」と現実を突きつけられ、吐き気を感じるほどの苦しさに襲われたそうです。これは、あまりにも恐ろしい言葉です。
夫の無理解が妻を追い詰める|「俺、障害児とか無理だから」の衝撃
こうした心ない言葉から、精神的にまいってしまう親は少なくありません。それが発端で、親子の関係を一切断ってしまう保護者もいます。関係が途絶える時、保護者は「この子は私が育てる」と強い決意を抱きます。しかし、障害児を身内からの支援なく育てることは、精神的にも肉体的にも非常に辛いことです。
さらに悲しいことに、母親を支えるべき夫が「変えられない価値観」の中で生き、虐待とまではいかなくても、理解のない言葉で、母親(障害児の保護者)を追い込むことがあります。
- 「自分の子が可愛くないのか?」と疑いたくなるような言葉
- 「俺、障害児とか無理だから」
- 「お前のせいだろ。お前がちゃんと子育てしないからだろ?」
- 「俺は働いているから無理」
このような非協力的で無責任な言葉が、母親をさらに孤立させ、追い詰めていくのです。
そうなると、母親は「私が絶対にこの子を育てる。私だけは絶対にこの子を愛し続ける」と、より一層頑なになってしまいます。
筆者の経験から語る「八方塞がりの障害児ママ」の苦悩
僕にとって、これが一番つらいことです。八方塞がりになっている障害児ママを見るのが、本当に苦しい。なぜなら、それが過去の僕の妻だったからです。
過去の妻と筆者の家族関係、そして元夫からの衝撃的な言葉
妻は、過去に裏切られてきた経験が多かったからか、結婚当初は私を全く信用しませんでした。
「お前もどうせ同じだろう」という言葉を何度も投げかけられました。
人への疑心暗鬼が取れないほど、妻の心は病んでいたのです。
どんなに誠意を見せても、私への疑心暗鬼や、頭の中のネガティブ思考を改善することはできませんでした。
妻の身内について言えば、妻の母親は優しく、とても支援してくれていました。しかし、女性同士だからこそうまくいかなくなる時期もありました。実の親だからこそ、その関係に難しさを伴う時があるのは仕方のないことです。当時は、よく喧嘩もしていたそうです。
喧嘩の背景にあった息子への影響:二次障害のリスク
ただ、その喧嘩の中心には、息子がいました。喧嘩を目の当たりにしている息子がいたのです。
どんなに二人に愛されていても、愛してくれる母と祖母が喧嘩をしていれば、息子は胸を締め付けられるように苦しかっただろうと思います。これは、二次障害や自己肯定感の低下につながってしまうことだと言えます。
そして、元旦那。実は上述の「俺、障害児無理だから」と言ったのは、妻の元旦那なのです。さらに、その親は離婚の際に「うちにはお金がありませんし、息子の人生もあるので慰謝料は払えない。〇ちゃんには二度と会わないで大丈夫ですので…」と言い放ちました。実の孫をそういった言葉で突き放したことは、妻に大きなショックを与えました。
こんなことを言われて、どう前向きに生きていくことができるでしょうか?
こうした例だけでなく、障害児の保護者の方々は、親戚や実の親からも、より苦しい言葉を言われた経験があるのではないでしょうか。その闇から抜け出すのは、本当に大変です。
可愛いだけで良いはずのお子さんに、どう向き合っていいのか、それすら混乱させる言葉たち。
どんなに配慮した言葉でも、ネガティブに感じてしまうくらい疲弊していることもあるのに、家族(親類)からの言葉は、それに止めを刺すほどのインパクトがあるのです。
障害児子育ての悪循環から抜け出すために|筆者の経験談と願い
それでも、光を見出してほしい。
僕は支援者として、そういった傷ついた心にどう向き合ったら良いか分かりません。
どういう言葉を投げかけたら良いか分かりません。無責任な慰めは人を傷つけます。
何も分からない自分が偉そうに、「元気をだして」「みんな応援しているからね」「それはこう考えて」なんて言えません。助言なんてもっての他です。
できることは、その苦しさに理解を示し、共感することだけだと思っています。
それができるのは、私が障害児の親であり、同じように苦しんでいた妻を「知っている」からであり、その事実を少しでも理解したいと付き添ってきた過去の自分がいるからだと思っています。
そして、助言ではなく言えることがあるとしたら、自分の経験を語ることだけでしょう。
誰か一人でも良いので一歩を踏み出すきっかけになってほしいと願いながら、私の経験を語ります。
【障害児子育ての悪循環】とそのサイクル
悪循環の中で生きるというのは、とても辛いことです。おそらく、上述のような渦中にある人や、まだそういった事々を忘れられず、しかも子育てに苦労をしている保護者様は、【悪循環】に入っていることがあると思います。発狂しそうな状況は、どうにもならないことも多いでしょう。悪循環の例で言えば、次のような感じかもしれません。
【障害児子育ての悪循環の例】
悪循環を抜けるための「良いイメージ」と「家族の笑顔」
このような悪循環のサイクル。これは私が経験したことであって、すべての保護者様に当てはまるとは思っていません。ただ、そういった苦しい気持ちになっている人がいて、助言や励ましを求めていないことを理解し、さらに難しい現実を加味しながら…それでも私が話して良いのだとしたら、
私は、「そこを抜け出すために必要なことは、一心不乱になっての我慢や辛いことで乗り越えようとするのではなく、辛くても、どうしても考えられない状況下でも、『良いイメージ』を持ち続け、出来るだけ明るい雰囲気を作ることです」と伝えるのではないかなと思います。あくまでも私の経験談として伝えるだけで、アドバイスとかではなくて。
私の(うちの場合の)家庭は「一番安心できる場所にするべきだ」と思ってきました。それは今も変わりません。
「いつかはより良い方向に向かうと信じている」ということです。
宗教めいているかもしれません。僕は無宗教者ですが、でも、自分はそれがベストだと思っています。
私は家庭内が泥沼の頃でも、ずっとそう言い聞かせてきました。結婚して1か月もしないうちに家庭内はぐちゃぐちゃでした。
子供は私が来ると黙って部屋に入り、口もきいてくれない。
子供とうまくいかなくなると、妻は私をバカにし、卑下し、けなしてきました。
実のところ、子供とうまくいかないのは、妻にとっては本当に苦しいことだったのです。理想と現実のギャップを感じ、子供のために再婚したのに、「子供が壊れてしまうのでは」と、精神的に完全にまいっていました。妻は「私のせいで子供も、この人(私)も不幸になってしまう…」と思っていたそうです。苦しくて仕方がなかったと話してくれました。苦しくて、苦しくて、どうにもできず、この人(僕)を離すしかないと思い、心が壊れていたとも言っていました。
私は、妻から卑下されたり、けなされたりして苦しんでいた時、それでも、「妻の方がより辛い」と考えるようにしていました。
そんな時でも僕は
「大丈夫、いつかはきっと、最高に幸せになるから」
とだけ話してきました。
喧嘩もたくさんして、妻に怒りが込み上げてきたり、車中泊なんかをしながらも、ずっとそう信じるように、自分を言い聞かせていました。車の中で大声をあげて、恨みを持つような心境になりながらも、少し落ち着いたら、何度もそう思って「楽しく暮らしている自分たち」のイメージを持つようにしてきました。
そして、一番大切にしてきた言葉は、「今が一番辛い時。ここを乗り越えたら、大きな幸せが待っている」という自分への投げかけでした。
どんな時も「子どもの前では笑顔」でいることの重要性
どんなに苦しい時でも、私は息子の前では笑いました。
笑顔で答えました。
正直、私はできた人間ではないので「このクソガキ」と思ったことも何度もあったのですが、「いつかこの子と本当の親子になる」とだけ信じて、どんなに態度が悪くても、言葉が悪くても、すべてを許し、そして笑顔で答えるようにしました。
妻には、真面目な話もたくさんし、とにかく話を「聞く」ようにしました。
そして、「大丈夫」とだけ伝え、自分から話すことは、ポジティブなことばかりにしました。
それから、少しずつ、事態は好転しだしました。私は、いつかにイメージした通りに幸せになったし、今は、それ以上に幸せになれたと、自信を持って言えます。それは、娘ができたことが、私のイメージよりも大きな幸せになったからだと思っています。娘もADHDの診断を受けていますが、それ以上に僕らに幸福を与えてくれています。
幸せな家族像とは?周りの声に耳を傾けない勇気
私の経験談はどう映るでしょうか。人が求める幸せは、個々人で異なるので、その程度では幸せに感じないという人もいるかもしれません。でも、もしも、今まさに、苦しみの渦中にいる人がいるなら、私は…とにかく、家族が安心して笑って生きてほしいと願います。苦しくても笑う。それが、子供に良い影響を与えます。悪循環を抜けるためには、それしかありません。
それは、家庭のカタチには関係ありません。母子家庭、父子家庭、祖母に育てられている子、養子縁組など、そういったものは関係ないのです。「いかに家族が笑っているか」が指標になると思っています。
周りの声は関係ありません。聞こえないと耳を塞いでしまうのが良い。付き合うだけ無駄です。
あなたと息子さん(娘さん)だけの世界の中に集中して、お子さんの笑顔が少しでも増えるために何をすべきか…その一歩を踏み出してほしいと思います。そして、保護者様が最大限に集中してすべきことは、おそらく「苦しい時も子供の前では笑うこと」だと思います。悪循環の中だと色々なことをしなくては、となって、実は何もできなくなってしまうこともあったりしますが、これだけはしようと私が思ってきたのは、「苦しい時ほど笑顔で許してやろう」ということでした。それだけで良いのではないか…無理をせず…そう思います。色んな技法もあります。でも、苦しい時には、そこに目が向きません。シンプルな行動しか出来ないと思います。だから…
嘘でも笑うんです。
それをルールにしてしまうのが楽でした。作り笑いだったり、ぎこちない笑い方かもしれませんが、どんなに苦しい時も、笑っていることが、その悪循環から抜け出すための唯一の手段のように思えます。親御さんの性格とかそういったこともあるかもしれませんが、「どこかに余裕をもって生きているふりをする」ことで、それが子供たちの安心感に変わり、「外では辛いけど、おうちは大好き」だと言える状況に変わるでしょう。不登校になるんじゃないか…という人もいるかもしれませんが、それはちょっと話が違う気がします。また、重度のお子さんもいて、「それどころじゃない」と思うかもしれません。
でも、笑って。ママがニコニコしているのが、お子さんにとっての幸福です。
すぐに変わることはないかもしれません。何年もかかるかもしれません。でも、辿り着きたい家族像のイメージをより鮮明に描きながら、ゆっくりでも進んでほしいと願います。一歩下がってさらに5歩進んだのに、100歩下がるみたいな、苦しい時もあるけれど、「今日は0.5歩進んだぞ」みたいな日もあって、それが繰り返されて、10歩くらい前進して、「今日はたくさん、笑ったね」という日が…いつかきっと来ます。お子さんにとって、
「家が一番、安心できる場所」
これが、子供の落ち着きに繋がります。家庭が安心できる場所でなければ、悪循環が引き起こす「問題行動」は続きます。いつも、ママが怒っていたら、家庭が不安なのですから、子供の行動は変わりません。
それが、悪循環を抜ける唯一の手立てだと私は思います。そして、身内の人の戯言なんかが自分にとって「痛くも痒くもない」くらい幸せを感じることが、お子さんにとっても保護者様にとっても大切なことなんじゃないかなと思います。
最後に:辛い時は「助けて」と伝える勇気も必要
で最後に…今、話したことと真逆のことも一言添えます。まるで大どんでん返しのミステリーのような一言を添えます。
そういったプラス思考で、ネガティブを押し殺しながら生きていくだけでは、実はダメだと思っています。
今までの理屈を崩すつもりはないけれど…甘えられる「人、場所、時」があるならば、その人の前では、素直に「辛い」と泣いてほしい。そして、支援者がいるならば、素直に「助けて」と話してほしい。
きっと、日ごろから泣きたい気持ちを笑顔で隠してひたむきに子供を思って生きている人ならば、絶対に誰かが手を差し伸べてくれます。助けてくれる。不要なプライドを捨てて、「辛い」「助けて」と話してほしい。きっと…いつかきっと…助けてくれる人が現れるでしょう。
社会って捨てたもんじゃないですよ。優しい人が沢山います。社会制度の中で、(福祉になれすぎて、変わってしまう人もいますが)「福祉をしよう」と思う人は、誰もが最初は優しい人です。そういった支援者は、あなたの「助けて下さい」の声を聞いた時に、実は「嬉しい」と思っているんじゃないでしょうか。困った人を助ける仕事を選んだ人です。頼って下さい。いらないプライドは捨てましょう。
実は、この最後の大どんでん返しも、これも私の経験談だったりします(笑)
さいごに
※読んでくれた方に感謝します。批判的に思った人もいるかもしれません。そういった方には謝るしかありません。自分は、きれいごとを言っているだけなんじゃないのか…と、そうも思えるんです。より苦しい渦中の人は、読んでいても納得できなかったり、不満に思ったり、より悲しくなったりするかもしれません。話半分で、こんなやつもいるんだと思っていただけたら幸いです。