僕は間違っている。
力がなくなってく中で、子供たちを見つめてきた流れの中で、何かを学びたいと思ってきた。自分は、「自分らしくない」Instagramを作っている。自分らしくないblogを作っている。
僕がしているのは、小手先のノウハウの発信だった。
それが嫌で、リアルな発達障害の保護者の悩みについて、僕が経験したことの経験談を発信してきたつもりだった。他のアカウントやblogの「ノウハウ」とは違う何かを模索していきた。
でも、すごく小手先だな?と思いました。そもそも、そんなものを誰が望んでいるのだろう?専門家の超プロの人ならまだしも、「そんなもの誰も望んじゃいないだろ、お前に」と感じました。僕が先生になる必要はないじゃないか、僕は単純に「adhdの妻」と「知的障害児のパパ」であって、何を一番大切にしてきたかといえば、愛情だけだったはずなんだ。
僕の本当の気持ちは、障害児の子供たちに、障害児本人に、「生まれてきた幸せ」を感じて欲しいし、保護者さんに「産んだ喜び」を感じてほしい。
だって、今まで「辛くて」「悔しくて」「後悔して」、今にも崩れ落ちそうなママに何人も、出会ってきたからだ。実際、うちのママだって同じだった。
過去の僕の妻は、
「もう、誰も知らない土地に逃げ出したい。どこか遠くに連れていって」と泣き叫んだことがあった。うずくまりながら、泣き叫んで、小刻みに震えていた。「もう、この子と消えてしまいたい」とも言った。
実際に、障害児のパパママで、そんな風に苦しむ家族は多い。
障害と診断された時とか、
大きなパニックに理屈を並べて余計混乱されちゃった時とか
急に行方不明になられて、心臓が握りつぶされそうになったり、
「もう、いい加減にして!」と怒鳴ってしまってから、後悔と自責の念でおかしくなりそうになったり、誰にも理解されない苦しみの中で養護施設の前で号泣していたり…。
僕は、「発達障害の専門家」になる必要はない。
そんな専門家めいた何かを語るなんて性格上できない。
自分らしくもない。
僕が経験し息子や娘から、生徒から学んだのは、愛情の大切さ。
小手先のノウハウじゃない。
それを否定することはない。自分も、その大切さを十分に理解している。
でも、それよりも大切なのは、諦めず、根気のある愛情だ。
「その保護者が、なぜそこまで悩むのか?」の答えも「愛情」があるからだ。
でも、苦しい日々の中で、そこを見失ってしまう人もいる。
そういった人に必要なのは、
明日も頑張ろうと思える声がけ。
自分は、療育の内容よりも、
「それを継続するための土台」を作る手伝いをしたい。
子供を育てるのに一番必要なのは、愛情だということを伝えたい。
子供の成長が上手くいくためには「長い時間」がかかり、それには根気が必要なのだ。その根気こそが愛情だ。
僕がしたいのは、今にも崩れ落ちそうな人をそっと勇気を出せる気持ちに切り替えるための何かだったのだ。
だから、少しコンセプトを変えていく。Instagramの中身も変えていく。blogも同じだ。もっとも大切なのは、バカみたいに「愛情」の大切さを声高に叫ぶ。それが自分らしい。何時ぞやからか冷静になりすぎてきた自分。
でも、熱い人間だったはず。もう一度、素直な自分に戻ろうと思う。
今日は、シンプルに気持ちだけを書き残す。雑談としてあげるだけ。これからの自分に「らしさ」をもう一度、呼び戻すために。
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