2019年11月15日の自分へ 2←2024年4月の自分から

学童期

行事が苦手な自閉症の子も多いと思います。息子の拒否はとても大きかったです。当時は、参加することの大切さばかりに目が言っていました。でも、今の自分は少し違うかもしれません。もしも、そういった方がいたら、ちょっと立ち止まって考えて貰えたらと思って書きました。

2019年11月15日 「はーくんいなくなる…」 before

小学校4年生のはーちゃんは、小学4年生になった時から、学校が嫌になってしまった。
特別支援学校のあるあるかもしれない理由で。

はーちゃんは、行事イベントは苦手。
やはり、予定にないことや、経験したことがないことには、物凄く不安になるのです。

そんなはーちゃんが一時的に行方不明になりました。
迷子というべきか。

自分は、介護の仕事で13時から22時まで仕事だったんですが、
19時近くに、妻からラインが入っていました。
就寝介助をしなければいけないので、
その時間帯は忙しくラインが来ていることには気づきましたが、内容をみるには至らずでした。

やっと、少し落ち着いて、ラインを確認すると・・・
そりゃびっくり!夕方16時すぎに、

はーちゃんが、家を飛び出して見つからなくなった

という内容でした。

はーちゃんを探そうにも、
妻は現在、妊娠4ヶ月目。
出血もあったため、絶対安静だったんです。ちゃんは、ママと二人のときは落ち着いてるので、
心配はしていなかったんですが、
妻が学校の先生から連絡をもらい、電話で話していると、静かに居なくなったみたいです。
いつもだったら、大声あげて、飛び出すんですが、今日に限っては、静かに出ていったそうです。
(普段は、注目行動もあるんだと思います)

妻はかなり体力が落ちており、
慌てて飛び出すも、歩くだけでヘロヘロ。

そんな中で、素晴らしい助っ人が!
小学校6年生の女子3名が妻の様子を見てか、一緒に探してくれたようです。
そして、その女子3名が発見してくれたらしいのです。
本当に助かりました。

でも、はーちゃん、20分くらいも一人ぼっち。

帰ると
「文化祭が嫌なんだよーーーー!!」
と泣き出したそうです。

文化祭は明日。家族で応援に行くのが楽しみだったんですが、
今回は良いかなって思います。
無理はさせちゃうと可愛そう。

でも、これが親ばかなのか躾をすることの恐怖なのか分からない
何でもかんでも、はーちゃんの言いなりになることが多い。

「わがまま」と「自閉症の症状」の堺目がすごく難しいと感じることが多いです。
う~む・・・・
考えても答えがでないんですけれどね。

ま、取り敢えず、何もなくて良かった。

「はーちゃんが居なくなった」と書いてあった冒頭文だけを読んだ時には、
気絶するかと思うくらい、心配で泣きそうだった。

だから、何もなくて本当に良かった。

さあ、明日の朝はどうなることやら。笑
側にいてやりたいなと思います。

2024年4月の自分から after

このころの自分のことを思い出すと…結婚して半年。なんとか落ち着いてきたものの、はーちゃんと僕の関係もやや不自然な親子関係だったと思っています。そして、必死に「叱らない教育」になれようとしていた時期にも思えます。なんせ、僕は障害児のパパになってまだまだ未熟者だったのです。

不慣れな環境下で、右に左にはーちゃんの行動に揺さぶられている感じでしたし、実際には、次に何が起こるのか不明すぎて、日々…「怯えていた」時期のような気がします。今も、『何が起こるか分からない日々』を過ごしていますが、この時よりは、自分自身がパパとして「落ち着いているな」と思っているのです。パパ、成長!ってな感じです。

そんなパパ成長!って感じの今の自分からアドバイスをするのなら、

①君(自分)が想像するよりも、息子の不安は大きいよ

②「わがまま」と自閉症の症状」との境目なんて気にするな

①親が想像するよりも、息子の不安は大きい

①と②を考えられるようになったのは、2019年以降の息子を見ていて学んだことが多いのです。「文化祭が良い思い出になるのは誰なのか?」が重要です。実際に見たいのは「親心」としては正しいですが、息子はそれ以上に「行事が怖かった」のではないかな?と、今は思うのです。そもそも小学4年生の頃は、学校の友達の「他害」が怖くて仕方なかった息子がいて、「それは大丈夫。先生もいるし…」とか言っちゃってましたが、それよりも息子は「怖かった」のです。とにかく、学校が嫌だった。

僕らが幽霊を見て怖いと感じるくらいの恐怖を、文化祭とかに感じていたのかもしれない…と今は思うのです。

理由は?

分からないです。

僕らが感じるものと、息子が感じるものには、大きな隔たりがあったと思っています。理解なんて出来ない。僕らは健常なのです。理解をしようとするのは親の気持ちとしてありますが、僕らの理解に及ばない所に息子の心理があったようにも思います。

僕の息子は、新しい物事に対して、僕らが想像するより遥かに強い恐怖心があったのではないかな…と思っています。

だから、「無理をさせたこと」が色々なマイナスを産んだような気がしています。

②「わがまま」と「自閉症の症状」の境目なんて気にするな

僕は、このことをいつも「妻と議論」していたように思います。でも、今なら、『合理的配慮』の方を真っ先に考えます。「少ないストレスが幸福を呼ぶ」という考えは、今の自分の中にもあり、日々葛藤する思い悩むこともあります。ただし、今は、僕は、息子に対して「わがまま」という考えはあまり抱きません。

何かの参加を拒否することは、多々あります。それを無理させて、何とか参加させる。そこで得られるものが何かを考える。でも、そこには息子の拒否があり、『マイナス側面のリスクがある』と今は思っています。分かりやすく言えば…『二次障害』ってやつです。

参加して得られる幸福 VS 無理に参加して起こりえるリスク(二次障害)

そこを検討して、今ならそのリスクを避けるのではないかな?と思います。

昔は、医師に「何でそこまで学校に行かせるのですか」と言われて、解答に困っていました。普通は、こまりますよね。親なら困るはずです。でも、今は、何となくその言葉を理解できます。二次障害を併発したら、生活すらままならないのですから。

今の僕なら、息子の気持ちにもっと寄り添うのではないかな・・と思います。どこまでなら可能なのか…どこまで嫌なのか…そう考えると思います。

まとめ

「行事に参加することが苦手なお子様」がいたら、是非に一度、読んでもらえたらと思います。また、「わがまま」と「自閉症の症状(障壁)」との狭間にいて、悩むことが多い保護者様にも考えて貰えたらと思います。今の僕なら、「無理をさせないかな」と思います。「息子ができる範囲で」は望むかもしれませんが、それほどに求めない。たぶん、妻も一緒かなと思います。理由は書いた通りですね。「行事に参加させるな!」という強い訴えはありません。思い出も大切ですから。でも、本当に無理ならば、もっと違う『思い出探し』も重要だと思います。



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