
2019年11月22日のblog「10歳誕生日 凄い!感動!」 before

子供の誕生日の前哨戦みたいな感じで、プレゼントを購入してきました。
幼児が乗るような小さい車。
なんかベンツらしく・・・。
で、なぜ、このプレゼントかっていうと・・・・。
〇ちゃんは、最近、車が大好きです。
こだわりを持っていて、後部座席に、ボタン式のシートベルトがあるか確認していくのですが、それと合わせて車のライトなどの形を記憶して、結構に車種を覚えてしまいます。
駐車場などに好きな車があると、後部座席を覗きにいき、ボタン式シートベルト(2009年から法律で使用不可)を確認するので、正直、他人様の車であり、怒られないか心配で恐る恐るです。
「人が乗っていたら怪しい人で嫌がられちゃうから我慢しようねぇ」
なんて言った日にはその夜、ずっと繰り返し「あの車が見たかった。見られなかった」となり、
ひどい時にはパニックになってしまいます。
だから、親としては、申し訳なくも、後部座席を覗くのに付き合います。
(自閉症児の親なら、誰もがこういう経験あるんじゃないかな)
もう見つかったら、親だから謝罪覚悟です。(笑)
で、そうだ!中古車屋めぐりなら安心!と思っていましたが、中古車屋も買わないで見学に来られるのは迷惑そうで、こちらも気まずいです(苦笑)

でも、〇ちゃんが物凄いスピードで車を覚えていくのは驚きです。
そしてその基準は、シートベルトとライトの形のみ。
「あれはシートベルトがバスのシートベルトと同じ形だから、古いパッソ!」
「なんで三菱なのに赤いマークなんだろうね。面白いね。だから、あの車は」
なんて具合です。それだけで、こんなに車種覚えられるのかよ!とびっくりです。
自閉症や知的障害の子が、天才と紙一重っていうのも頷けたりします。
そんな中で、このプレゼント。
〇ちゃんは大喜び!と思いきや、欲しいと言っていたわりには苦笑いって感じで、はにかんではいるものの嬉しそうではありません。
あちゃぁ・・・。失敗?
すると〇ちゃんは、
「パパはあっち行ってて!」と、冷たく言い放ちます。
正直、悲しすぎた。
「ごめんね。じゃあ、あっちにいるね」とベンツと〇ちゃんを残して僕は部屋から立ち去ります。
しばらくして、〇ちゃんは、僕を呼び出します。
「はやく、スピーカー(ブルートゥースと接続できる直径15センチくらいの小さいスピーカー)と携帯をくっつけて」と言い出しました。
言われるがままにスピーカーから僕の携帯の音楽が流れるようにします。
〇ちゃんは、
「パパ、ランナーのおんがくをかけて」とお願いしてきます。
爆風スランプのランナーという曲は、学校の朝マラソンで掛かっている曲なんですね。その他にも朝マラソンをしていると、掛かる曲が〇ちゃんのお気に入りで、自分の携帯にはそれらの曲が入っています。
「はやく、かけてよ!」
言われるがままに、ランナーをスピーカーから流します。
すると、
〇ちゃんが、その小さなベンツに乗って、部屋から登場!!
なんだか、めちゃくちゃ嬉しそうです。
「ぱぱ、聞こえる?」
なんのこっちゃと思っていましたが、〇ちゃんは、そのベンツのおもちゃの椅子の中(黒い部分。蓋が空いて中に物を入れられます)にスピーカーを入れて、嬉しそうに走ります。
「〇ちゃんの車にもスピーカーある?ねぇ、ある?車の中に人がいるみたい」
そうか!本物の車でアイフォンと車のスピーカを連動させているのを再現しているんだ!
車から音楽が流れてくるので、嬉しいんだ!
「車の中に人がいるみたい」という言葉は、〇ちゃんが好きな音楽を自分が車でかけている時にいう言葉です。
「凄い!!〇ちゃん!!凄いよ!」
我が子の奇想を褒め称えます。
僕は、本当に感動していたんです。
それから、小さな車から、色々な音楽を流すたびに、
〇ちゃんは、
ぴょんぴょんと跳ねながら、「〇ちゃん、考えちゃったん。〇ちゃん、凄い?」と聞いてきます。
―僕は、ちょっぴり泣いちゃいました。
誕生日プレゼントを喜んで貰えなかったかなと寂しい気持ちでしたので、喜んでいる姿がみれて、更に喜びが増したのもあります。
でも、それよりも嬉しかったのは、〇ちゃんが、自分から愉しみ方を膨らませていたことでした。
自閉症の子は、創造性に掛けると言われます。
でも、〇ちゃんは、再現が大好きです。
その中で、創造性を働かせて、自分なりの楽しみを見つけました。
知的障害を背負いながら、そういった成長を感じて、僕は感無量になりました。
〇ちゃん、成長しているんだ。
その瞬間は、〇ちゃんが、僕に与えてくれた幸福でした。
だから、〇ちゃんに感謝です。
〇ちゃん、本当にありがとうね。
明日は、〇ちゃんの楽しみにしている「誕生日パーティー」。
明日も楽しみです。
2025年2月13日の自分から…after
このブログを読んで感じたことは、「想像力」についてのことだ。うちの息子は、ファンタジーの世界(発達障害特性の「ファンタジーの世界」について知りたい方はblogを作ってありますので、下のリンク先で確認してみて下さい)を持っていて、凄く「再現」を好んでいました。レゴブロックが大好きで、自分が好きな何かを再現することを好みました。
その当時、再現していたのは、「看板」でした。パチンコ屋なんかで光っている看板をよくレゴブロックで再現していました。他にも思い出せるのは、「ハンサムスーツ」という映画の一場面を凄く好んでいて、それも人形を使っておままごとで再現をしていました。この過去のブログの時も、2点式のシートベルトのある車をイメージして、ベンツのおもちゃに二点式シートベルトをつけて、スピーカーを中にいれて、普段の本当の車に乗っている状況を再現していました。
まだ、この頃は、学校が怖くて、送迎バスに乗車するだけでも大騒ぎでしたが、「強迫性障害」の症状はまだ出ていなかったように思います。
10歳でしたので、ある程度、自閉症・発達障害について勉強していた僕ら夫婦は「自己肯定感」について認識があり、当時、息子を良く褒めていました。その時に、息子は、
「〇ちゃん、偉い~。〇ちゃん、てんさい~」と息子はよく言っていました。
今の息子は、そういった部分で自信のなさが目立ちます。
あの頃の「不安感」に対して、僕らがもっと認識をもってあげられていたら?と申し訳ない気持ちになります。強迫性障害について、最近はblogにしていますが、寄り添い方は失敗だったのではないかな?と、2025年2月の僕は思うのです。
不安症に対しての寄り添い方があっていたか?と言われると本当に息子に申し訳ない気持ちになります。発達障害児の保護者さんには、「僕らのような後悔をしてほしくないな」と思います。大切なのは、「寄り添うこと」であって、それを否定して修正を求めることではありませんでした。
本人の苦しさに寄り添い、余計なことは言わず、「苦しいね」と側にいてあげる。そして、直球で本人に伝えない形、周り道をしながら、そういった不安が自然と消えていくのを待つ。そういった根気が僕らにはなかったように思うのです。
そうしていたら、もしかしたら、「今のような自己肯定感の低さ」には至らなかったんではないかなと思うのです。今の息子は「僕なんてダメだし、〇〇さんにすっごく怒られんだよ!A学童に〇〇さんが戻ってきてさ。僕は、わがままだって怒るんだ!」と想像で作り上げた物語を僕に話してきます。
「え!〇ちゃんは良いこだよ!」と僕が答えてくれるのを待つ注目行動が目立つのです。それを確認して、自分の必要性・自分が愛されていることを、何度も確認してくる息子がいます。
僕ら夫婦は、ベストを尽くしているつもりでしたが、コロナに、トラウマ、学校への不安…色んな要素が重なって、今の息子がいるのです。「IF」を言っても仕方のないことですが、僕は、少し、やっぱ、後悔しています。
ただ、現在、中学3年生の息子ですが、息子のfantasyの世界はまだ続いています。そういった遊びを自然と自分で身に着けています。その点に対しては、「息子らしさ」を感じれる瞬間です。やっぱ昔からなんだ…そんな感じで苦笑いをして日記を読んでいました。その子らしさを感じながらの子育ては、後から見直すと大事だなと感じます。
発達障害の妄想(ファンタジーの世界)って知ってる? | あひるのお 発達障害児パパママ blog 陽の日日記
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