ペアレントトレーニング 第6回 ⑥発達障害児「家では良い子、外では悪い子」について考える 

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家庭の中での環境について、「叱らない教育」について前回は考えました。また、あわせて、それに伴う「自己肯定感の低下について」も前回の動画で解説をしました。結構に奥深い話になっています。自分のお子様を見る時の一つの「ものさし」にして頂ければと思います。

「悪い子」って言葉が良くないかもしれません。不適切な行動の多い子だと思って頂けると幸いです。

「家では良い子、外では悪い子」について考える

良い子外では悪い子に潜む危険についてお話ししていきたいと思います

これについてどう考えますか?

「なんでなのかな?うちではこんなにいい子なのに外で他害や暴言が出ている…」もしくは「うちでは静かなのに、問題行動(不適切な行動)が多い」と思う事があったら、保護者として立ち止まって物を考えても良いかもしれません。

あのそういったことがあった時に親って、すごく子供への理解が難しくなってしまうことがあると思うのです。そのことについてちょっと解説していきたいと思います。

当然、発達障害でがあって注意欠陥多動性障害であったりとか、自閉症であったりとか、学習障害とかいろんなことあると思いますが、けれども、そういった時に家でとってもいい子にしているから親としては、「学校が悪いんじゃないか」とか「先生が悪いんじゃないか」とか「放デイとかの支援者の方が悪いんじゃないか」とかって考えてしまうこともあるかもしれません。

そういう時に、ちょっと一歩踏みとどまってみましょうっていう事例です。自分自身が本当に正しい子育てをしているかどうかを一瞬でも良いので、見直す機会にしてみませんか?というお話です。

※注意!ただ、この解説は嫌な気持ちになる親御さんもいるかもしれないのでその辺ちょっとご了承していただいて読んでいただけたらと思います。

家と外の子供の状態 4つのパターン分け

一番のベストをどこか考えてみて下さい。実際には、右下の所がベストのように見えますよね。でも、よく考えてみれば、「本当にそこがベストなのか?」を考えることこそが、大切なような気がします。また、自分の子供時代に目線を向けるのも大切なような気がします。

4つのパターンの状況を分析してみる

①「家で良い子、外で不適切行動が多い」の場合

なぜ、そうなるのかの分析

ここで考えられることは次のようなケースがあると思います。

  1. 外での指導が良い指導になっていないケース
  2. 家の指導が厳しすぎて、外の方が解放感があるケース

1の場合は、学校や支援者との「共有」が成されていないことも考えられるため、モニタリング(話し合い)の機会の場で整理することをお勧めします。

今回のペアトレでは2の方をピックアップして考えて貰えたらと思います。

例えば、ママが厳しいっていうごご自宅があったとします。その時に「家が怖い、家が不安」っていう子供の中の自分を出せない環境があった時には、家では良い子になります。怒られちゃうのが嫌だとか、自分自身で何か言うのが嫌だから言われた通りにしているけれど、「本当はどこかに行きたい」「本当は目の前のものをに飛びつきたい」けれど、怒られちゃう経験がすごくたくさんあるものだから、家では良い子で過ごすわけです。

でも、今の時代は、支援級であったりとか特別支援学校だと、先生方も『合理的配慮』を考えてくれ、その子の特性に合わせて、柔らかいものの言い方とかをしながら指導をしていくわけです。また、虐待案件であったりの勉強を当然していて注意を払って指導していたり、モンスターペアレントなんて言葉があるように、そこにも注意をしながら、指導をしてくれています。

もしくはABAみたいな感じで、「悪い行動を減らして、良い行動を増やす」みたいな特性を考えた指導をしていくと、比較的、外では自由になってくるということがあって、子供自身も自分自身を開放する場があったりするものだと思います。

その両方が合わさってしまうと、家と外の世界っていうのが逆転しちゃってるケースがあるわけです

保護者としての自分を見直す機会にする

このことは、すべてのご家庭がこうだということを言っているわけではなくて、ちょっと親としての自分を見直してほしいっていうことです。当然に、外の世界の指導が間違っているケースもあると思います。ただ、自分自身が子供に接してきている時というのは、生まれてから幼少期から学童期とずっと続いていることなんですね。

例えば小さい頃に、二歳三歳の時に厳しくしてしまって、「自分の親の像」が子供にできてしまうと、そこから、自分を解放して、「家でくつろいでいる自分(子供)になるには時間が掛かる」んじゃないかなと思います。

「うちのパパとママはこういう人」だっていうものが出来上がってしまい、甘えられない環境があると、自分自身を出さないっていうことが出来上がってしまう。「それが、うちの家庭」みたいな思い込みがあって、例えば五歳六歳になってから親が学んで、気づいて優しくしてくれていたとしても、そこから脱するには時間が掛かると思います。

 取り返しがつかないっていうわけではないですが、なかなかその怖かった時の印象や厳しかった時の印象っていうのは子供の心から離れないので、「今は優しいけれど、いつ前みたいに怒られてしまうか」っていうのが分からなくて、素直にその状況を飲み込めないままの時間を過ごすんじゃないかな?と思うわけです。つまり、不安なく家で過ごすという状況を獲得するのには時間が掛かるように思います。

 その辺についてちょっと理解をしていただきながら、「こういうご家庭もある」もしくは「自分のご家庭もしかしたらそんなことないかな」ていう感じで、改めて自分の子育てを見つめなおして頂けたらと思います。

保護者は自分の子育てに疑念を抱きづらいの

①のパターンの家庭に関しての危険なところっていうのは、親が子供の気持ちに気づいてない所なんです。

実は、気づけるわけがないんです。なんでかっていうと「なんでうちの子は良い子なのに」って思ってるっていうのは、良い子である=問題行動が少ないっていう見え方だから、だからこそ気づけないんです。シンプルに言えば、『自分が悪いっていうことに気づけないっていうことが危険なところ』だと思います

どっちからかというと他責志向になっちゃうわけです。「学校での指導がおかしいんじゃないか」とか「放デイの先生は大丈夫なんだろうか」とか考えてしまう。そもそもASDがあり、ÀDHDがあるから…何らかの行動特性が出るのが普通なんです。それも、「不安がない環境だからこそ」出やすいはずなんです。それなのに、いい子すぎる。それって普通じゃないっていうことを、保護者として感じるとれるのは大切なことなんじゃないかな?と思うんです。

要は、外では障害特性がバリバリ出てるという状況の中で、家で出ないことに対して「ちょっとおかしいな」っていう疑念を持つぐらいが良いんじゃないかなと思ってしまいます。

どう接していくべきか?

どう接していくべきかなって言ったら、子供を叱るのではなくて、『諭すこと』の努力が必要になります。

怖い顔っていうのはすごく簡単に子供の行動抑制をできるんですが、そうではなくて、真剣に愛情を伝えながら「これは間違っている」っていうことを曲げずに、一貫して、真剣に伝え続けることが大切だと思います。

どうしてそういうことをしてしまったのか理由を聞きながら、なかなかうまく答えられない時には、親が代弁をしてあげながら話していくわけです

イラっと最初に来ちゃった時にアンガーマネジメント的に、「障害特性があり、家が安心できる環境だから、そういう行動が出ているんだ」と考えてあげると、比較的イラッとするのも止まって冷静な注意が出来るのかなって気はします

特性が出てることっていうのは全てが悪いことではないって思うんです。そこのことを、すごく大事にして考えてほしいなと思います。うちの息子や娘もそうですけども、特性が出てきた時に全部を抑制するんじゃなくて、『そういう風に出せているのは、家が安心できるからだよね。また、自分が合理的配慮をちゃんと考えた行動ができてるからで、まだ子供は成長段階で、適切な行動がとれるようになるのには、まだまだ時間が掛かるよね』と考えてあげられることも、保護者としての大切なことのように思います。

でも、そういった行動を正していかなくちゃいけないので、「きちっと伝えていく」という努力をするようにしていった方がいいと思います

また、障害特性を治すには時間がかかるものっていう風に考えた方がいいです。ゆっくりと直していくものだという風に僕は思います。「簡単には治らない。簡単に行動抑制が出来るなら、障害ではない」んです。

物事の理解が進んでやっていけるっていうことですから、ゆっくりと時間をかけ、自分を信じてというか「いつかきっとうまくいくんだ」って考えてほしいと思います。

甘やかしすぎではダメじゃないか?幸福感とは?

合理的配慮を入れたりとか、安心感を与えてとかの話になりましたが、実は、「甘やかすぎる」っていう心配もあると思います。本当に、これで子供はよくなるのだろうか?という不安もあると思います。戸惑いですね

そこで、幸福感とは?についても考えてほしいと思います。そこのところが教育の肝になってくるからです。

例えば、僕ら大人が資格を取ろうと思ったらコツコツ勉強して、最終的に合格・資格を取るっていうことがあると思います。そのコツコツ勉強している時間っていうのは、やりたいことを我慢して無理して勉強してるんです

それって自分にちょっとずつストレスをかけている

でも、その努力とか、小さなストレスみたいなものが合わさって、結果として資格を取れるという大きな喜びとして返ってくる。これが本来の幸福感を感じる時になる部分が多いです。やっぱり自己成長していることを感じ、人から褒めてもらえることに、人間は幸福感を感じます。なんの努力(小さなストレス)なく、手に入れたものよりも、そういう形で欲しいものを手に入れた時の方が喜びが多いのです。

だからこそ、親(保護者)は、子供たちを「叱ることも必要ではないか」「厳しくすることも必要ではないか」と悩むのだと思います。

だからこそ、これを考慮に入れて過剰なストレスを与えないでゆっくりでも成長できる仕組みを考える必要があるんだろうということです。

過剰なストレスを与えないでゆっくりでも成長。そして、自己肯定感の向上を図る

例えば、パパと遊びで教わったボール投げの仕方を、毎日、遊び半分でやって『練習』をしていた。そしたら、ある日、他の子たちよりも、ちょっとでも遠くに飛ばすことができた

そういうことがあったとします。実は、それだけで子供っていうのは「俺ってすごい」っていう気持ちになったりとかします。その練習をする時に、優しく優しくして、他者比較の中でえ勝てるところを作ってあげるっていうのも大事なことかなと思います。

僕は、「自分に自信が持てるものをしっかりと作って」っていう話をよく妻としています。それを過剰ストレスをかけるんではなくって、あくまでも小さなストレスを意識して、それが練習を積み重ねていくうちに経験として他の人よりも良い結果が出るっていうものを考えたいと思っています。

その子の特性や性格とかその子の趣味とかえその子の好きな教科とか、そういうものに目を向けて、しっかりと自信を持てる瞬間を作っていくっていうのは大事なんじゃないかなと僕は思っています

②「家で不適切行動、外で良い子」の場合

今度は家で悪い子外では良い子の話をしたいと思います。これは、もしかしたら理想型なんじゃないかなって考えます。家ではだらしなくて我儘なんだけれど、外では一生懸命、先生に褒められるように適切な行動がとれているという状態です。

なんで理想型なんでしょうか?

僕ら、大人をイメージして貰えると分かりやすいかもしれません。

じゃあ僕自身どうか。家に帰ってくると安心感あるので、ソファーに寝っ転がったりとか、自由にしてますよね。「子供たちはも見ないで、なんで寝てるのよ」なんて妻から怒られることもあるわけです(笑)例えば「車のタイヤ交換するって思ってたのにやらないで、次の日になっちゃった」とかそういうこともあるわけです。だけど外に行ったら、仕事をしてるので僕自身は比較的、真面目に仕事をするわけです。

これって『家では不適切行動が多くて、外で良い子』ではないでしょうか?

外の世界では褒められる自分でいたいっていうのは、ごくごく普通の感性だと思うのです。

③「家で不適切行動、外で不適切行動」の場合

TPOが取れない 生活面での改善が必要な状態

③番は「家で不適切行動が多く、外でも不適切行動が多い」です。こういった子は、『社会性の理解が全く進んでない状態で、TPOの理解も学べていないという状況かな』というふうに思います。ただし、家庭の中で愛情を受けている状況であるかもしれません。それでも、何かを学んでいくのに時間が掛かりすぎていて、療育の支援内容があっていないケースもあると思います。

要は家で合理的配慮を入れすぎてしまって、注意・指導を全くいれてない状況で、本人の望むことがすべて成立している状況であり、外でも同様で、社会でのルールや適切な行動の理解ができてないし、学んでもいないっていう状態です。叱ると癇癪に繋がるため、黙認していることもあるかもしれません。

その問題行動を治す努力ができていなくて、外でも更にもできていないっていう状態ですから、そうなってくるとTPOの理解が学べていないということになるかなと思います

何をしたら良いか

ただ、危険リスクがすごく高いこと、例えば、車の交通が激しい所でもボールが飛んでいったら、すぐ行っちゃうとか、他人の車を叩いてしまうとか、物を投げてしまう癇癪とか、いろんなそういった場面の中で、リスクが高いことに対して、生活というものをしっかり捉えながら、成長を促すことが大切だと思います。それは、やはり、時間のかかることだと思います。ある種、保護者様は忍耐の必要だと思います。支援者の方々や医師とよく相談しながた、ゆっくりと進めていく所かなと思います。

そういったところをしっかり押さえて、TPOの理解を、自由であっても学べていけたらいいなっていうところになるのかもしれません。また、着眼点をQOL(生活の質)において、子供の療育を進めていくのが大切だと思います。

④「家で良い子、外で良い子」の場合

考えられる二つの状態

自分だったらなんですが、「これが一番、心配じゃないか」って思います。だって障害があるんです。一応診断をもらってるから、通所受給者証をもらっていたり、療育手帳をもらっている。障害特性が出てるっていう判断の下で、特別支援学校に通ったり、放デイに言ったり、児童発達支援に行っている。

家でも良い子で、外でも良い子だったら問題ない子(健常者)になっちゃうじゃないですか。だから、自分だったら逆に不安になってしまうわけです。そもそも、特性がどうして抑えられているのか、きちっとした理由を保護者が持っているなら、それでOKだとは思うんです。

  • 発達障害があるが、行動特性が抑えられている理由が明白ならベストな状態
  • 発達障害があるのに、理由も分からず、ただただすべてにおいて良い子の状態は不安

その理由としては、

例えばお薬の効果があったから、支援者とうまくこう共有が取れていて支援者側がやってることが家でも出来ているとか、うちの中の安心感もあるにもかかわらず、それが抑制できてるって言ったらベストなわけです。

④の状況なのに、理由が分からない時が一番こわい

でも、理由が分からないっていうのが一番怖いですね

なんで一番怖いかっていうと一番下のところになりますけど

実は一番怖いって書いてあるんですけど、その理由は、高学年とか中学生頃に一気に不満が出ちゃうっていう可能性があるからです。それは、常に自分を出さないで、「溜め込んじゃってるだけだから」っていうことです。

自分をどっかで緩める時間を持つ必要があると思います。オンとオフがはっきりしてることは、子供の成長において、すごく実は大事なことなです。ずっとこのオン状態でいるという、自分が緊張段階にある段階がずっと毎日続いているっていうのは、本人には負担がかかっているので、どこかのタイミングで爆発してしまう可能性があるわけです。そうならないためにも、発達障害と診断があり、それでも特性が目立たないという時には、その状況を維持しつつも、子供の心に負担がないか?何かを我慢している様子はないかと観察の視線を送ってあげてほしいなと思います。

まとめ

ご家庭がどうのこうのっていうことを言いたいわけではありません。

例えば、「家で良い子で外で悪い子だから、あなたの家は厳しい家!それはダメ!」とか、「躾が出来ていないし、あなたの家は甘すぎる!」みたいな話をしたいわけではないのです。今回の話は、全ての状態を4分割して、傾向として話しているだけに過ぎなくて、それがすべての状況に合致しているとは思えません。

ただ、一つのサンプル、一つの傾向としてそういうことを考えてみた時に、「自分をどう振り返りましたか」っていうことが大事かと思います。「自分にとっての家族とは?」とか「自分の子育ては正しいのかな?」というのを改めて考える機会にしてほしいと思います。もう一度見直すことによって自分自身が保護者として、また親として、どう子供に接していくべきかを見つめなおす。そんな機会になっていただけたらと思っています。

ペアレントトレーニングとし題してやってますけれども、かなり心理的な要素を含んでいて、また個人的な考えも含んでいることは否めません。ご了承いただければと思います。また、今回のブログ内容は結構に繊細な要素を含んでいると思います。ご理解頂ければ幸いです。

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クリスマスにスヌーズレンを。うちでも試しましたが、結構に感動しました。自閉症特性が強い息子も走り回っちゃう娘も、喜んでくれました(笑)

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