
こんにちは!
今日は、僕が通っていた「専門学校の文化祭」に家族で行ってきた話と、そこで感じたことを綴りたいと思います。ちょっと長くなるかもしれないけど、僕の人生の大切な一部を共有させてください。
専門学校文化祭でのエピソード
38歳で専門学校へ。親の反対を押し切った決断
今から10年ほど前、38歳の時に僕は大きな決断をしました。それは、介護福祉士を目指して専門学校に入学すること。実はこの決断、親からはめっちゃ反対されたんです(笑)。「なんで今さら学校?」って。でも、僕にはどうしても譲れない理由がありました。
当時、僕は人事をしていて、バリバリ働いていましたが、戦略や数字に追われる日々に疲れ果てていました。精神疾患があったわけじゃないけど、ふと自分の人生を振り返った時、「本当にやりたいことは何だろう?」と真剣に考えたんです。そこで浮かんだのが、介護の仕事。誰かの役に立ち、直接「ありがとう」と言ってもらえる仕事に魅力を感じ、介護福祉士の資格を取るために専門学校の門を叩きました。当然に周囲の人たちからは猛反対がありました(笑)そこを押しのけて、その選択をしたのでした。
結果、護福祉士の資格を取得し、そこから介護の世界に飛び込み、今に至ります。
そして、この決断が僕の人生を大きく変えることになったんです。
妻との出会い、そして家族の始まり
専門学校での生活は、想像以上に刺激的でした。
18歳の若い学生たちに囲まれ、最初は「38歳のおっさんがこんな環境でやっていけるのか?」と不安でいっぱい。でも、みんなにジョークで盛り上がったり、サプライズを行ったりして、意外とすぐに馴染めました(笑)。学年みんなで楽しい企画を考えたり、学生生活を全力で楽しむアイデアを出し合ったりしていました。18歳の子たちがキラキラした目で未来を語る姿に、僕も若返った気分でした。
そんな中、僕の人生を変える出会いがありました。
それが、今の妻です。
彼女は僕の1年後輩として入学してきたんです。妻は、障害のあるお子さんを育てる中で介護の道に進むことを決め、専門職の資格を取るために学校に入学したのでした。いろんな人生の経験を重ねてきた二人が、同じ目標に向かって学び、仲良くなりました。
そして、付き合いを始めて、結婚。
今では5歳の娘と、妻の連れ子だった息子と、4人で賑やかな家庭を築いています。
文化祭で娘に伝えた「パパとママの物語」

今回の文化祭は、娘を連れて行く初めての機会でした。
ちょっと照れながら、「ここはね、パパとママが出会った場所なんだよ」と伝えてみたんです。
どんな反応かな?とドキドキしながら見守ると、5歳の娘が真剣な顔でこう言いました。
「そうなんだ!ここでパパとママが出会って、好きになって、結婚して、私が生まれたんだね!」
その言葉に、僕は驚きました(笑)娘は5歳なのに、なんて直球な考え方なんだ!と。
でも、娘は多動っ子らしく、すぐに校内を走り回り始めました。まるで、興味がない。はじめてとかどうでもいい。「あっちも、こっちも、面白そう!」それは、多動っ子には刺激的すぎて、スイッチオン!という感じでした(笑)
娘の言葉に癒されながら、走り回る娘を追いかけながら、
学生たちの元気な姿や、車椅子介助の練習をする姿を見て、昔の自分を重ねていました。
あの頃の先生はいなくなっていたけど、
介護の基本を一生懸命学ぶ学生たちの姿は、なんだか懐かしくて温かかったのでした。
(当時18歳だった)同級生との再会と、彼らの成長に感動
文化祭では、懐かしい再会もありました。当時18歳だった同級生の二人、A君とBさんが、なんと30歳になって再登場!二人とも、僕にとって特別な存在だったんです。
A君:自閉的傾向を乗り越え、結婚!
A君は、僕が当時働いていた介護施設に「うちに来なよ!」と誘った子っでした。実は彼、ちょっと空気が読めなかったり、思ったことをストレートに言っちゃって反感を買うタイプだったんです。自閉的傾向があって、コミュニケーションに苦労していた彼が、僕と一緒に働きながら少しずつ成長していく姿を見ていました。
今回の文化祭で再会したら、なんとA君、「結婚したって!」相手は同じ施設の同僚!びっくりしたけど、めっちゃくちゃ嬉しかったんです。A君が誰かと深い絆を築いて、幸せな家庭を持っているなんて、昔の引っ込み思案な彼からは全く想像もできなくて。実際に、一生涯誰とも付き合えないんじゃないか?と本人すら思っていた感じでしたから。そんな彼の「結婚しました」の声が、本当にびっくりで、なおかつ、心から「よかったな!」って叫びが溢れました。正直、涙目になるくらい嬉しかったのです。
Bさん:複雑な家庭から這い上がり、立派な看護師へ
もう一人の同級生、Bさんは、当時は真面目だけどちょっと遊んでる雰囲気の子だったんです。でも、実は複雑な家庭環境で育ち、右も左にも転びそうな中で必死に生きてきた子でした。今回の再会で知ったのは、彼女が介護の道から看護の道に進み、今では素晴らしい看護師として働いていること。特に、強迫性障害を持つ人への理解が深く、優しく寄り添う姿勢に、僕は心を打たれました。
僕は、「Bさん、君を本当に尊敬するよ」と伝えました。
苦しい環境を乗り越え、心の広い、優しい女性に成長した彼女の姿に、考えさせられるものがたくさんありました。正直、当時の印象は全く溶けてしまい、本当は、そんなに辛い時期を過ごして、本人なりに乗り越えてきたんだと思うと、僕は切ない気持ちになりました。他の若い子にない素晴らしいオーラを感じたのでした。
障害福祉の道を選んだ理由
僕が高齢者福祉を辞め、障害福祉の道を選んだ理由は、障害のある息子の存在が大きいです。
息子には障害があり、僕には「親がいなくなった後も、息子には安心して楽しく暮らしてほしい」という願いがあります。
そのために、僕は、障害福祉の道を選びました。僕は、「僕が人に優しくすることで、いつか息子や娘にその優しさが返ってくることを信じている」のです
今日、A君やBさんのような成長した人たちと再会すると、「もし、僕がいなくなり、彼らが将来、息子に出会ってくれたら、きっと息子に優しくしてくれるだろう」と思えます。僕が介護や福祉を頑張ることで、僕の名前を知る人が増え、息子や娘のことを気にかけてくれる人が増えるかもしれない。ずっと、そう信じてきました。僕にとっての「親亡き後」は財産を残すことではないのです。もちろん、その事も念頭にありますが、それよりも、僕がいなくなった後の、「息子が出会う人」に着眼点を置いているんです。だから、僕は、出会う人を僕自身が大切にしています。こう書くと、人を大切にする理由が、損得勘定のように感じられるかもしれないですが、でも、誰も損をしないことだと僕は割り切っています。
最後に
文化祭での一日を通して、昔の自分、仲間たちとの絆、そして家族の未来を振り返りました。
介護の道を選んだあの決断が、妻との出会い、家族との時間、そして素敵な人たちとの繋がりを生んでくれた。
娘の純粋な言葉や、同級生たちの成長に感動しながら、改めて「これからも人に優しくありたい」と思いました。
長くなりましたが、読んでくれてありがとう!
またこんな日常のことを綴っていきますので、よかったら覗いてくださいね。
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