
「この夏休みは、息子とたっぷり向き合う時間にしたい…」そんな想いから、これまで勤めてきた放課後デイサービスを退職しました。
実際には、妻が「夢だった保育士としての仕事を始めたのに、息子を見れる人がいない」ことを考えての退職になります。放課後等デイサービスでの経験は、短い期間(3年2か月)でしたが、僕にとって大切な経験となりました。また、息子の将来のために、「今」が放デイを去るべきだと判断をしました。
話はさかのぼりますが、
僕が介護の道に入ったのは38歳のときです。
それまでは、不登校の対応をする教育関係の仕事、営業、人事など、ごく普通のサラリーマンでした。祖母の死や、自分の人生におけるいくつかの大きな出来事を経て、「福祉の仕事がしたい」という気持ちが芽生えたんです。そして、周りの反対を押し切って(笑)、介護の道に入りました。
そこからは、利用者さんだけでなく、ご家族も納得できるような介護を目標にして、仕事に打ち込んできました。社会福祉士をとった際に、あまりに広い福祉分野が試験範囲だったので、自分なりに専門職としての「専門分野」を決めましたが、それが『家族』だったのです。
妻との結婚を機に、知的障害と自閉症のある息子のパパになりました。
「誰とも結婚はしない」と頑なだった僕です。
結婚は自分には縁がないと思っていた僕が、まさか障害を持つ息子のパパになるとは。
人生って本当に不思議ですね。
結婚後、妻の精神的な不安定さから、転職を余儀なくされました。
出来れば、ずっと高齢者介護がやりたかった(笑)大好きな仕事だったのです。
僕がそれでも、前職の放課後等デイサービスに努めた理由は次のような流れからでした。
息子が通えなくても、唯一優しく接してもらっていた放課後等デイサービスが、人手不足で大変な状況だと妻から聞き、「パパ、助けてあげて。〇ちゃんに唯一優しくしてくれた放課後等デイサービスなの。社長さんが困ってる。体調も壊すくらいに」と涙ながらに頼まれ、その放課後等デイサービスで働くことにしました。
うちの息子は、本人が放課後等デイサービスに通えないということもありましたが、よく放デイから断られてもいました。そうなると、うちの妻は、傷心しきっていました。「なんで、福祉なのに、うちの子には障害があるのに、福祉が受け入れてくれないの」そんな言葉を僕は聞き、泣く姿を見てきたのです。だからこそ、通えなくても、放置をせず、「いつでも待っているよ」と言ってくれ、時々、息子の様子を見に来てくれるその放デイが、いつまでも、妻の心の支えになっていたのです。
だから、その放デイが人手不足で運営が厳しくなると、
妻は僕にお願いしたのです。
僕は、社会福祉士でしたので、すぐに児童指導員になれたのも理由のひとつでした。
正直なところ、これまで培ってきた高齢者福祉の経験を全てゼロにすることへの疑問や、妻に頼まれたからと自分の仕事を決めてしまうことに戸惑いもありました。福祉の世界は、経験がすべてです。高齢者福祉と障害者福祉では、経験の基礎が違います。それでも、妻の精神的な負担を減らしたいという一心で、転職を決意したんです。
「ま、こういうのもありか!」と割り切りました。
働く前に、社長に「2年間は働きます」と約束をして働き始めましたが、結局3年間勤めることになりました。その放課後等デイサービスは、利用者さんやご家族に深く寄り添う場所でした。
一般的な放課後等デイサービスでは考えられないような苦労も多かったですが、その分、得られた喜びも大きかったように思います。朝も早ければ、帰りも遅い。利用者家族の仕事で悩まないように配慮を考える。
正直、療育内容まですべてを納得していたわけではないです。
社長との考えの違いも持つことありました。
でも、根幹を見つめると、たぶん、地域で一番よい放デイだと思います。
個人的には今年の12月まで働くつもりでした。
実は、その放課後等デイサービスは2号店を出す計画があり、管理者として引き継ぎを終えるまで働く予定だったのです。しかし、児童発達支援管理責任者の不在により、2号店のオープンが11月以降に延期に。
僕の計画では、自分のしていきたいこと(相談支援や地域支援)を考え、退職の時期を考慮すると今年の12月末が限界でした。12月であるならば、当初の予定通り6月にオープンできれば、6か月間の猶予があり、二号店を安定させて、後任の管理者に引き継ぎもしっかりできる…そう思っていました。でも、それが11月になると、オープンして1ヶ月で退職するしかない。
それはあまりに不義理だなと思って、7月31日の退職にしました。
退職が決まると、みんなは悲しんでくれました。優しい言葉に、感謝の言葉。色々な温かい言葉を貰いました。人生で、一番後悔のない転職になりました。本当に、この放デイが好きなまま退職ができました。
最終日7月31日。
子供たちの前で、僕の送別会をしてくれました。
色紙に、立派な花束、珍しい豪華なお菓子を貰いました。
そして、更に、社長から辞令(笑)それと、感謝状(笑)みんなと映っている写真も。


※今になって、案外嬉しい(笑)
息子も大きくなり、今後は就労先を決めていかなければなりません。
親なき後も、息子が安心して暮らせるように、地域とのつながりを大切にしたい。
そう考えた僕は、「どうせ福祉に携わるなら、息子のために、もっと、この地域で広く社会福祉を知る必要がある。息子のために、地域の福祉関係者との人脈をしっかり作っていきたい」と思うようになりました。
そこで行き着いたのが「相談支援専門員」という仕事です。
ですが、僕が住む県では、相談支援の初任者研修を受けるだけでも、「自分で起業する」などの明確な理由や、現在勤めている事業所からの推薦が必要で、受講することすら難しいのが現状でした。介護のケアマネは経験年数と試験の合格が必要でしたが、相談支援専門員は「その仕事に確実に従事する保証」を求められる感じです。
条件が厳しすぎる(笑)
それでも、たくさんの方にお願いして、どうにか受講できることになりました。
9月末に研修が終われば、相談支援事業所を始めることができるかもしれません。
ですが、うちの生活・経済力を考えれば、相談支援の利用者が増えるまでは、
高齢者福祉の仕事で夜勤をするとか、農業を始めるとかして、経済的な基盤を確保しなければなりません。
しばらくは厳しい環境に身を置くことになりますが、将来の息子のために、今できることを追求したい。
息子が少しでも幸せを感じられる環境を作るために、努力していきたいと思っています。
すべては、僕がこの世に存在しない時の、息子のためです。
また、当然に娘の将来のためです。
これからは、会社という後ろ盾がない分、自分自身の能力だけが頼りです。
不安で仕方ありません(笑)
不安すぎて、どうするよって心臓がもぞもぞします(笑)
が、家族のことを考え、僕にできる最善の努力をしていきたい。
もちろん、僕の根底にあるのは「福祉人」としての想いです。
僕たち夫婦が感じてきた苦しい気持ちを忘れずに、
障害を持つお子さんとそのご家族に、心の底から寄り添える「支援」ができるようになりたい。
まだまだ、勉強が必要です。
ぜひ、応援していただけると嬉しいです。
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