「障害受容」と「兄妹児」に関して(前編)

家族の記録

あるヤフー記事を読んだ。https://news.yahoo.co.jp/articles/4c74174e87bab0901f56b17b5e9ed1e9544d9be6?page=4

本人への告知や、兄妹児への告知についてだった。

僕は、娘にいつ「自分がADHDがあること」「お兄ちゃんが知的障害と神経発達障害(発達障害)があること」を伝えるんだろう?

この難しさは、発達障害児の親なら常に悩むところではないだろうか?

本人への告知という点では、その第一歩は「本人が知ることが良いことなのか」というスタートラインから考える必要がある。もともと自己肯定感の低い子供が、それを知らされることでより自己肯定感が下がるのではないか?極論では「親を怨むのではないか」そんな不安まで考えてしまう。お兄ちゃんの時にも同じような不安があった。

 実際に、うちではお兄ちゃんには告知をしていない。妻からは簡単に言っていたかもしれない。でも、僕は息子や娘の前で「障害」という言葉で話すことに抵抗感がある。話すことへの罪悪感かもしれない。「思想が現実化する」「(日本の)言霊」みたいなものをどっかで信じている自分がいるから、なおに「良いイメージ」を先行するためにも「障害」という言葉を使うことにためらいがある。

 親は、案外に「子供たちの自己肯定感を親自らが下げていること」を知らない。学校の先生との何気ない会話や、「うちの子なんてね」から始まるママ友との電話、周りの子に比べて出来ないことがあった時の泣き顔、色々な場面で、実は子供たちの自己肯定感を下げていて、そういう場面で実際には「告知」をしてしまっている。

 うちの息子については、完全な特別支援学校クラスである息子を、「息子が希望している」という理由をもって、支援級に転校させたことがあり、その支援級への転校の目的の中に「自分で何が足らないのか」「普通とはどういうことなのか」を自然と感じて、自然と「障害受容をする」という目的があった。そして、それはその通りになり、「自分がどうなりたいのか」に本人の意思は固まったように思っている。なぜなら、小学6年生の2学期には本人は「僕は特別支援学校に行きたい」と今度は違う地域の特別支援学校を希望したからだった。

 転校の中には、いろんな目的があった。それらすべてが功を奏し、心の安定をもたらしたと思っているのだが、結果として、現在、息子が特別支援学校に通っているのも、あくまでも「親の選択」ではなく、彼が自分を見つめなおして、「自分の安楽がどこにあるのか」「自分はどういうものを求めているのか」を自己覚知した結果だったと思っている。つまり、僕は「言葉」を使った「障害の告知」をせず、あくまでも「自分を知る」という機会を提供しただけだった。

 僕は、それで良かったと思っている。

 息子は中学生になり、すべて上手くいっているわけではない。障害受容だって柱がなく、ふらふらな受容だと思う。それでも、「僕はこういう人」なんだと自覚することは、本人の人生にとってはプラスに働くのではないかと、息子に期待している。「自分を知る」という点は、『障害』というマイナス面ばかりではない。「何が好きなのか」「どんな遊びが好きなのか」「何を学びたいのか」そういうプラス側面も『受容』してほしい。『しあわせ受容』みたいな言葉があっても良いじゃん

 僕は、そういう家族でありたいし、そういう育児・教育をしていきたい。もっと、シンプルに。だってさ、息子の笑顔は最高なんだから。

 長くなりすぎるので、娘の需要については、後日…

 本日も読んでくれてありがとうございました(笑)

 

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