2019年11月16日のblog「特別支援学校 文化祭」 before
今日は、昨日、迷子?になったはーちゃんの通う特別支援学校の文化祭でした。
朝は、昨晩テンションを下げる薬を飲まなかったので、ネガティブな心理は消え、元気に登校していました。はーちゃには、よくあることですが、「昨日の拒否はなんだったんだ?」てくらいご機嫌に登校していきました。ただ、これまた、よくあることですが、「やっぱな・・・そうだよな」という結果になりました。
冒頭に、生徒会の素晴らしいダンス(アラジンをモチーフにしたダンス)がありました。
ただ、妻いわく、「ああやって踊れる子たちは、普通の学校から移ってきた子なんだよ」とのこと。
いじめとか虐待とかの不幸を経験してしまい、精神疾患を患ってしまった子が復調して通ってくれているんですね。はーちゃんが、あんな感じで踊れるには、遠い道のりか。でも、それで良い。
文化祭の内容は、低学年(1・2・3年生)から始まり、小学生456年生合同の出し物でした。
123年生の素晴らしい出し物が終了し、
注目行動が凄い息子のために、ステージから一番まえの席を必死にキープしてカメラの準備をして、いざ、催し物開始!
はーちゃんは、一番に登場!
と思いきや・・・あれ?
出てこなーい!!
昨日の拒否とかが頭によぎります。
「やっぱ出れなかった・・・」
はーちゃんは、目立ちたがり屋だし、知的はC 精神2級で結構にいろいろな事ができる方?の自閉症ですが、こんな事は初めてです。
体調不良を無理して出てきた妻をみると・・・
涙!
正直、自分も悲しくなって、涙ぐみましたが、妻に「大丈夫だよ」と言いながら毅然とごまかしました。
4年生の演目が終わり、5・6年生の演目と続きます。
その間、妻はずっと涙でした。
すごく気持ちがわかりました。
妻が妊娠して、はーちゃんの面倒を僕らが見ていますが、そのストレスが原因で練習も手つかずだったのだろうと自信喪失をしていたのだろうと、妻は自分を責めたのだと思います。
そして、迎えたエンディング。全員が揃って、舞台でパプリカを踊ります。
はーちゃんは出てくるのか僕は心配でした。
すると、はーちゃんは先生に手を引かれながら出てきます。
正直、ほっとしました。スマホの動画を撮影しようと、僕は画面を覗き込みます。
でも、踊らないでモジモジしているだけ。
いつもなら、はーちゃんは踊りは得意で元気よく踊ります。
やはり、妻は泣いていました。
自分のスマホを持つ手も、膝の上に戻りました。
すべてが終わり、昼食を取らずに帰る予定だったため、はーちゃんを迎えにいきます。
さぞや、落ち込んでいるだろうと、妻と僕は、「はーちゃん、偉かったね。いやだったのに出てきてくれただけで、すごく偉いよ」と声をかけます。
すると、はーちゃんは、元気いっぱいに、
「はやく、はーちゃん、頑張ったんだから、木工班の作ったのを買いに行こうよぉ」とニコニコなのでした。落ち込んでるのを予測していた妻と僕は拍子抜け。
今月誕生日があるので痛い出費でしたが、沢山買いました。
(とはいえ、特別支援学校で作られたものは、いつも沢山買うんですけれど)
その後も、美味しいものを食べにいき、僕の実家で、どろんこになって一緒に遊び、常にニコニコのはーちゃんで、あれ?どうした?そのテンションは!となりましたが、「あ、そうか今日は薬を飲んでない」
どうりでテンションが高いはずだ。
心配したけれど、
元気いっぱいのはーちゃんに、正直、救われたのでした。笑
当時のはーちゃん(小学4年生~5年生頃)
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2024年6月の自分から after
読んでいたら泣きそう…無理をさせなくても良かった。
先日ですが、たまたまこの日記の時の話になりました。なぜか?運動会があったからですね。行事についての話になり、妻はこの時のことを回想していました。あの時は、娘のひーちゃんはお腹の中にいました。切迫早産で、一歩も動かないようにと言われていましたが、楽しみでもあり、当時のはーちゃんがママが来てくれなかったら可哀そうという理由もあって、絶対安静だったのにも関わらず文化祭を見に行ったのでした。自分もカメラを構えながら、横の妻を気遣っていましたが、その「想い」を知っていたからこそ、泣いている妻を見て、心が苦しくなったのを覚えています。
その文化祭の1年前では、息子はそこまで行事が苦手ということもなかったのです。少しずつですが、そういったものから遠ざかる息子がいて、その文化祭ではピークになったくらい行事拒否が強くなり、結局、参加が出来ませんでした。全く参加しなかったのは、初めてだったのを覚えています。初めてということもあり、妻はひどくショックを受けていました。泣きっぱなしの妻を労りながら、「仕方ないよ。あそこにいただけでも褒めてあげなくちゃ」と言っていました。
また、当時のママ友が横に座っていて、ママに対して凄く慰めてくれていました。本当に良いママ友でした。
でも、少し思うのが、あそこで息子に無理をさせなくても良かったのではないかな?と思うのです。「行事が見たいのは誰か?誰のための行事か?」子供が出れなかった辛い過去があるからこそ、今は、僕らも強くなり、それを冷静に考えられるようになりました。
少しは寂しいだろうけれど、でも、今の僕らなら、『行事に参加することよりも大切なことがある』と思えるようになりました。それは、行事だけのことではないのですが、無理をさせることは、本人の辛さに負担をかけることになるのを僕らはよく分かるのです。辛さも「僕らが考える辛さよりも遥かに大きいのだろう」と、今は何となくだけれど分かります。
運動会に参加できなかった発達障害ママたちへ
確かに、みんなが参加できる行事に自分の子だけが参加できないことは辛いことかもしれません。でも、その辛いよりも、「行事に参加する子供の辛さ」の方が遥かに大きい辛さの時もあるかもしれません。つまり…
行事に参加する子供の辛さ>親の(行事に参加できない姿を見る)辛さ
の、時もあるかもしれません。その時に無理をして参加した時の「子どもの傷」を考えたら、行事に参加することがベストとは限りません。それよりも、一日でも多く、そういった不安のない…平穏な日常の方が子供の成長につながることもあるかもしれません。「運動会の日に学校を休まなかった。運動会には出れなかったけれど」そこが、今のお子さんの最大限の努力という時もあるでしょう。また、おうちで過ごしたという時だって、「嫌なものをきちんと嫌だと言えて、自分を苦しめる要素から離れ、自分から避けることが出来た」と評価することは出来るはずです。
行事に参加できないと、親は心苦しくなることもあるかもしれません。
でも…大切なのは、親の気持ちではなく、子の気持ちにどう寄り添い、愛情を感じてもらうか?が、きっと良い将来に繋がると…今の僕は信じています。
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