運動会について…雑談

陽の日日記

 娘の運動会については感動しましたし、(standfmでも配信した通り)反省点もありました。ただ、自分は、そのXを出す時も躊躇とためらいがありました。実際には、「公開処刑だった」というパパママさんもいるはずだからです。昔、自分たちも結構にそういう気持ちになったことがあるし、一歩間違えれば、同じような展開になっていたのも事実です。今回の運動会だって、そういった保護者様もいたのではないかと思っています。

 運動会は誰もが楽しみにして、本人も「褒められたくて」がんばって、最後はみんなで頑張ったご褒美に外食でも…というのが普通の家族だと思います。でも、障害児家族はそうはならない。今回、自分も同じような気持ちでしたが、「落ち着いてほしい」「走り回らないで」そういう想いで娘を見つめていたのも事実です。「失敗しなきゃ御の字」そんな気持ちでもあったのです。そして、それが「頑張ったね」という気持ちなのです。

 それでも、子供たちの中では、「一切踊らない」「ずっと泣いている」「走り回って迷惑」「せっかくのお遊戯も台無しにしている」など失敗が目についてしまう子もいるんじゃないかなと思います。そういった時の親の苦しさは半端がない。悲しいを通り越して、どうしたらよいかと胸を槍で突かれたような気持ちでわが子を見ている。

 幼稚園の先生から「今回は出席しますか?」と聞かれた親御さんなんかもいるかもしれません。「え?当たり前に出席しますけどダメなんですか?」そんなことを言われてもわが子の為に出席している家族もいるかもしれない。

 僕は、投げかける言葉がない。

 でも、「子どもを応援に行くこと」は正しく、確かに『公開処刑』て言葉になるのかもしれないけれど、そして「どうしても周りが気になる」のは分かるけれど、そのお子さんが、「そこにいた」ことだけに集中して、大成功なんだと思ってほしい。きれいごとだと分かっているつもり。そして、それは他人事の発言だし、無責任な同情のようにも、自分に対して「お前はバカだ」と思うのです。当事者でないと分からない苦しみ。自分の子をしっかり応援しているだけなのに、つらいのは周りの視線が気になっているという事実。そして、同情や温かい言葉まで疎ましく感じる。そういうことも沢山ある。

 僕は息子が中1の時に、誰よりも早く走れるはずの息子が徒競走でスタートからゴールまで歩いていた運動会を忘れられない。声援すら苦しかった。痛々しく周りには映っていたかもしれない。でも、心の底から感動した。「きっと出たくない、逃げ出したい。いつもはここに参加もしない。スタートラインに息子を発見すら出来ないかもしれない。でも、歩いて参加しているじゃないか」と。その内心は、周りの声…同情めいた応援をくれる人の心には知りえないことだ。でも、親は知っている。何が本人の努力なのかを。参加すら出来ない子もいるかもしれない。でも、その子は「うちで参加していないことにもがいているかもしれない。しっかり戦っている」そう思ったりする。誰も、気づかない思い。僕の大切な息子のその努力の在り方を知っているのは、僕ら親だけなのだ。

 決して、周りの声援をくれる方を批判はしていない。むしろ感謝をしている。でも、親の深層心理には誰も気づけない。それは当たり前だ。

 だからこそ、僕は、僕と妻それと息子だけの「運動会」と、僕は周りを遮断して見つめている。

 僕には、発達障害児のご父兄のその辛さに寄り添う事は出来る力はきっとない。だって、その苦しさを分かったような文面は、本当にそのご家族に対して失礼だと思うからだ。わかったふりなんて出来ない。ただ、「つらいこと」が理解できるだけに過ぎない。僕も沢山、それを経験してきたから。共感ということだけしか出来ない。

 でも、「どうか、周りの目には負けないで…」と思う。

 あくまでも、「お子さんとご家族だけが参加した運動会なんだと見つめてほしい」と願う。けして、自分のお子さんが失敗したのではなく、どんな展開の中でも、「お子さんは頑張った」のだと思ってほしい。身勝手な考え方かもしれない。恩着せがましくいう事ではないかもしれない。偉そうにいうことでもない。

 でも、大切なのは周りの視線や同情の声援じゃない。あくまでも、家族の中のお子さんと保護者様だけの大切な思い出とその時間。いつかはきっと「それが良い形に変わる」と信じて負けないでほしい。

 

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