
0-100思考からの困難と合理的配慮を考える
昨日の朝のことです。
朝バス停に僕が息子を送っていると、息子のご機嫌を取りたくて、昨日からの息子からのLINEで書いてあった話に合わせ「28歳までが英語の勉強の時間だね」という話を車の中でしていました。
というのも、息子は昨日の晩にLINEで「28歳まで英語の勉強になります。その後は一旦お休みして38歳までお休みです」と言うのが送られてきたからでした。
息子に話を合わせて「それはとても良いことだね」と言っていたんですが、
車の中で、「学校での勉強で国語と数学と英語でいうならば英語を勉強したい」と言ってきたので
他の教科の話をしていると、「数学のほうはまあまあかなぁ」ということで話をしてくれて、「国語は嫌いなんだ」と息子が教えてくれました。
でも、僕は余計なことを言ってしまって
「でも国語の授業も出なくちゃだめだよ。高等学校だから高校の授業もしっかり立てないと卒業ができなくなっちゃうね」と言いました。
それは、「学校の授業の中で先生が困るんじゃないか」と考えたからでした。
それを言ってから、息子の顔がみるみるうちに変わって目が座ってるような状態になりました。
そして不機嫌になって、何を話しても「そんな事はどうでもいいよ」と言うだけになりました
そこで僕は「多分、さっきの国語を否定したことだな」と思ってたんですが、実際にその通りで、「バスが来ちゃうから、何が嫌だったんだか言ってごらん」と少し急かすような言い方で言ったところ、やっと口を開き、「国語を勉強しろって嫌だった」と言いました。
これで国語拒否が決定的になりました。
こういった所でも先日の日記の0-100思考(白黒思考)が発揮されているように感じます。
白黒思考については…↓
それで僕自身は「学校の先生はなんて言ってるの?」と息子に質問しました。
そると息子の方から「国語はだったら勉強しなくてもいいよ」と言ってくれているとの事だったので、
「だったら勉強しなくてもいいよ。先生がそう言ってるんだったら、別にそれはそれで大丈夫だよ」
と声掛けしました。
それでも、それが嘘なのか本当なのかはちょっと僕にはわからないのですが、
学校で気分がすぐれなくなってしまったり、パニックになったりして、
先生に迷惑はかけられないので、息子の話に合わせたのでした。
よく考えれば、息子が「英語をやりたい」と言う部分を素直に受け入れて伸ばしてあげる。協力してあげる。
ただそれだけでよかったのかもしれません。
合理的配慮と「単なる過保護」の狭間で悩む

ただ合理的配慮を入れているということで言えば、そうなるのでしょうが、
ほんとにこれが配慮であって、甘えでは無いのだろうか?と言う戸惑いにはなるのです。
この程度の小さなストレスさえも克服できない息子について、
悲しい気持ちになる時もあれば、
悔しい気持ちになる時もあり、
僕は男ですので、多少ならず、イラ立ち覚えたりもします。
それを声に出さずに、心の中でぐっと押し殺しているような状態です。
こういった時に、口をつぼめるようになり、気持ちを顔にも出さないくらい辛抱強くなったのも、
過去の息子とのやり取りがあってのこと。
僕は息子に鍛えられてますね(笑)
息子の関連付けについては、以前にも話をしていますが、英語と国語というものを比較して、
0ー100思考(白黒思考)の世界で、
「国語というのを完全に除去したい」という心理になっていることが分かります。
そういったことに寄り添っていくことで、精神的な安定を図れるものの、
- 「そんな小さなストレスさえも克服できないことが、息子の将来の不安定さにつながるんではないか」
- 「作業所の中でそんな配慮をしてもらえるのか?」
- 「僕でさえ苛立つことがあるのに、そこの職員たちは苛立たないのか?」
- 「生活介護やグループホーム、デイサービスのや作業所の中で、これから多くの社会福祉の支援者のみなさんと関わりを持つ息子が、本当に可愛がってもらえるのか」
いろんな部分で心配になります。
これから先に対して、自分が思った事は絶対であり、他の人から言われる事は受け入れることができないと言う息子は、心の面で今後どうやって生活をしていくのか?ということが不安でなりません。
家族であるならば、その辺に対して配慮を持つことはできるけれども、
「そういった集団生活の中ではなかなか難しい部分が出てくるのではないか?」と考えています。
そのために、先生にお任せしていく部分が非常に大きいのですが、
中等部の頃とは異なって、高等部では、全てを息子の味方になるのではなくて、
学校の先生を立てながら、息子の指導に当たらなければいけないと考えています。
つまりは、すべて寄り添うのではなくて、「正しいことを伝える」
小さなストレスからの幸福を知ってもらうために、多少の我慢も伝える必要があると思っているのです。
実際のところ、僕は放課後等デイサービスに勤めていますが、
(うちの方でではどんな子でも受け入れてきていますが)
他事業所で、「少し難しい子に関しては、お断りをしている」
そんな話をよく耳にします。それは作業所においても同じことだと思っています。
息子だって、いつ断られるのかなんて分からない。
これから実習が始まることに際して、
「〇〇は嫌だ」が非常に多い息子に対して、多少ならず、
自分の望まないところであっても小さな我慢をする力が必要になるのかな?と思っているのです。
また、その要求を飲まないと、食事を取らなくなったり、
ずっとネガティブな発言が続いたり、時に苛立った様子を見せる息子に対して、
「親がするべきことがで何だろうか」と非常に悩むところになります。
皆さんのお子さんはどうでしょうか?
学校休みたいと言った息子に対して、学校休ませる。それが合理的配慮だというふうに考える。
でもそれで本当にいいんでしょうか?
僕自身は「それでいい」と考えるようにしていますが、実際、日々毎日子供と接している親御さんにおいては、子供の幸せを考えればこそ、その点で悩むことが多いのだと思います。
時にいろんな考え方があり、
個性の尊重みたいな話がたくさんありますが、
また情報が多く、いろいろなことが言われますが、
親は子供の幸せを願うわけで、
幸せを願えば願うほど、
そういった困難があったときには非常に悩むものだと思います。
そして、悩んだあげくもがきながら、最後に合理的配慮を入れるという瞬間には、
もしかしたら「この事態を乗り越えることができない」という諦めの心境(ある意味での障害受容)なのかもしれません。、
少し情けない話も含みましたが、
何か皆さんの参考になればと言うふうに思います。
読んでくれてありがとうございます。
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コメント
息子さんのネガティブな思考を少し緩くするかもしれない考え方を教えます。(海外のアニメファンの書き込みなどを参考に)
⚫︎キャラクターに自己投影して特性っぽい行動に共感する考え方
(例 のび太の飽きっぽい性格、運動が苦手なところ、ボーちゃんの石集めに夢中なところ)
⚫︎キャラクターをADHDやASDを持っていると見立ててイラストを描いている【キャラの英名 autistic 】などで検索すると出てくる(例 ソニックのテイルズ、ルイージなど)
をして海外の方は前向きに特性に向き合っているみたいです♪
(参考例)↓
https://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/61472928.html
息子さんに教えてみてください。
コメントありがとうございます。
確かに、その2パターンはあるかもしれませんね。昔の息子は「ルイージマンション」が好きになったのですが、その時は、「(表紙の」自信のなさそうなルイージが自分に似ている」ということで好きになったとのことでした。つまりは、上の「自己投影して特性っぽい行動に共感する考え方」だったんでしょう。ただ、今は、その2パターンの中にはいないように思います。嫌悪を避けるために別の世界を好むという白黒思考的な要素が強いんです。でも、昔は、黒の方に偏ったんですが、今は、白を探そうとする。昔に比べたら、息子も成長しているのかもしれません(笑)