
このブログでは、毎回、障害児子育てで苦しいママさんを勇気づける…そんな応援、エールの言葉を探していきたいと思います。手探りながら、本当に辛い時は、ここに来て読んで貰えたら嬉しいです。まずは、vol. 1。ヘレン・ケラーの言葉です
エールその1 ヘレン・ケラー
「世界で最も美しいものは、見ることも触ることもできません。心で感じるものです。」(原文:“The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched — they must be felt with the heart.”)
この言葉は、ヘレンが親友であり長年の支援者でもあるアニー・サリヴァンへの感謝や愛情を表現した文脈で語られたものとされています。
ヘレン・ケラーについて

(1880年~1968年/アメリカ)
視覚・聴覚・発語の三重障害を幼少期に患いながらも、世界で初めて大学卒業を成し遂げた女性。
教育者・作家・社会運動家として、障害者の権利、女性の権利、平和活動に尽力。
彼女の人生は、**「不可能を可能に変えた象徴」**とされ、世界中に希望と勇気を与え続けています。
ヘレン・ケラーの代表的な特徴:
- 7歳で家庭教師アニー・サリヴァンと出会い、世界が開ける
- ハーバード大学系列のラドクリフ大学を卒業(障害者初)
- 障害者福祉・人権活動に国際的に貢献
- 名言多数:「人生は冒険か、無か」な
この言葉が語られた背景・場面:
この名言は、1900年代初頭、彼女がアニー・サリヴァンとの深い絆や人生への想いを記した著書や手紙の中で登場しています。特に、自伝『私の生涯(The Story of My Life)』に見られる文脈の中で、目や耳で感じられないものこそが最も大切であるという彼女の哲学が語られています。
彼女は、視覚も聴覚も失った世界で生きていたからこそ、「真実の愛、友情、希望」といったものを“心で”感じ取って生きていました。
🔹どういう意味か?
この言葉は、
- 「目に見えるものだけが価値のあるものではない」
- 「本当に大切なものは、目に見えない」
- 「感じる心こそが人間の核心」
というメッセージを、聴覚・視覚障害を持ちながらも豊かな感受性で生きた彼女自身の実体験を通して、私たちに伝えています。
もし、この言葉を発達障害児の子育てに置き換えるなら…
「この子の価値は、目に見える行動や言葉では測れない。
この子の本質は、親である私が“心で”感じ、信じてあげるもの。」
というメッセージにも重なります。
自分が感じるこの言葉に思う事
もしかしたら、綺麗ごとにしか感じない言葉かもしれません。現代社会において、発達障害児の子育ては、本当に大変であり、この言葉が何の意味を見出すのか疑問に感じる人もいるかもしれません。ただ…。
僕らは、ヘレンケラーの大変なものにばかり目がいってしまいます。
つまりは、視覚・聴覚・発語がない点です。
それは、問題とか障害に目がいってしまうということです。
「出来ること」に目がいかないのです。
そして、それとは逆に、「そんな中でも努力で大学進学まで勝ち取った凄い人」という感じで、
偉人としての凄さに目が奪われます。
僕自身、ヘレン・ケラーを知ったのは、介護福祉士をとるために、38歳で専門学校に入学して、勉強していた時のことでした。障害者としてのエピソード。あの頃は、単純に、聴覚・視覚がなく、更に発語が難しいという状況下で、大学進学をした凄さにばかり目がいってしまっていました。
その凄さにだけに注目してしまいがちですが、
実際には、そこに辿り着くまでのエピソードが大事なんだと思います。
想像し得ない努力と苦労があったはずです。
だからこそ、ヘレン・ケラーの言葉には重みがあるのです。
僕らは、子供たちの「問題」ばかりに目が奪われます。でも、それは、果たして正しいのでしょうか。
僕の息子も、突拍子のないことをします。疲れている時に、追い打ちをかけるような面倒なことをしでかします。
「いい加減にしてくれ!」
「我儘ばかり言いやがって!」と怒りたくなる時もあります。
正直、ヘレンケラーとは異なる難しさの中に生きているのだと思います。
でも…僕らの子供たちのこころは「ぴゅあ」ですよね。
そのピュアさに僕らは魅了されて、苦労を忘れる時があります。
それどころか、そこに幸福を感じることもあります。
好き勝手して、僕らはそれに振り回されます。
自分の行動を制御して、買い物一つ出かけるのでも苦労が耐えなかったり、
他人の冷たい目に嫌な気持ちになったりもします。
でも、僕らの子供たちは、本当にそれだけでしょうか?
学校を休むからダメな子なんでしょうか?
床を水浸しにしてしまうからダメな子なんでしょうか?
パニックになって、途方に暮れさせるから、ダメな子なんでしょうか?
僕らの子供たちには、「こころ」が本当にないのでしょうか?
時に、ママが病気な時に心配していても、
心配を上手く表現できないだけのように映る時もあるのです。
僕は、息子のあどけない「ピュアさ」が大好きです。
立派なことを成し遂げることは出来ないでしょう。
でも、
立派なことを成し遂げるだけでは手に入らないその「ピュアさ」は、
何よりも貴重なもののように感じます。
まとめ
「世界で最も美しいものは、見ることも触ることもできません。心で感じるものです。」(原文:“The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched — they must be felt with the heart.”)
ヘレンケラーは「世界で最も美しいものは、心で感じるものです」と言っていますが、それでは、具体的には、世界で最も美しいものは何なのでしょうか?それはきっと、「こころ」ですよね。僕らの子供たちのこころは「ぴゅあ」そのものです。だから…「僕らの子供たちは、世界で最も美しいもの」になるのだと、そう僕は思います。
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