「発達障害児子育て」に悩むパパママさんへの手紙

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このブログで、「もっとも伝えたいこと」
それは、子供の成長に真剣に向き合いながら、
でも、心がくじけそうなパパママさんへ贈る手紙になります。

今、僕は、個人事業主として仕事を開始する段階になりました。社会福祉士として、成年後見制度の後見人になろうとしています。娘の誕生日に開業をしようと思っています。5月中です。障害福祉においてのキーワードは「親亡き後」だと思って、その仕事で開業します。もちろん、計画相談に拘らない相談支援も含めた業務です。また、農業と福祉を連携させて、障害者の就労を始めたいと思っています。そのために、現在、無報酬で本格的に農業をやっています。ネギを作っているのです。それも、息子が特別支援学校を卒業するタイミングを計って活動しています。

そういったターニングポイントに、Xの固定ポストで、この「発達障害児子育てに悩むママさんへの手紙」を作成するのは、そういった自分のターニングポイントの中での「決意」「覚悟」を固める意味でもあります。僕は、稼ぐのではなく、福祉人として「支える人」になりたいのです。

ただ、仕事の気持ちでこういったblogを作るのは嫌だなと思っています。
もっとシンプルに物事を考えたいのです。

僕は…親なんです。
やっぱ、親。どう考えても、親。
支援者では伝えきれない想いを、このページに残して、
それを軸にしたい。

その決意のためblogでもあるのです。

僕は、10年前に僕の息子と出会い、そして、特別養子縁組をして、「発達障害児のパパ」になりました。妻が連れてきた天使です。そんな天使でも、簡単に天使にはなってくれなかった。天使なのに、天使だと思えなかった時がありました。苦しいことが、山積みで、「先ゆく未来に光は刺さない」そう思っていた時期がありました。

Xやthread、ブログなんかを見ていると、「本当に苦しい」ポストを見かけます。発達障害だと診断されてから、本当に苦しそうなママさんと話すこともあります。相談を受けても、涙をこぼされて、苦しいと漏らすママさんがいます。

そういった時に、僕は言葉を失います。
言葉で表現できない苦しみに、言葉は不要です。
言葉が余計に苦しめてしまうこともあるから、僕は言葉を失うんです。

でも、何かを伝えないと、今にも崩れ落ちそうな人がいます。

ただ、その場で、言葉にするとそれらの言葉は「軽い」です。
一番苦しい時には、傍にいてあげることが重要で、言葉ではない
その苦しみは、「理屈」じゃないからです。

だから、僕は、そういった苦しい人に、本当に伝えたい言葉をブログに残します。
理屈じゃない。でも、そういった人にも必要な言葉を。

言葉は、会って目の前の人から吐き出された時には軽くなるけれど、

途方に暮れて、悩みに悩んで、ネットを漁り、辿り着いた文章なら、苦しい時には、少しは勇気を与えられるのではないか」と思っています。

だから、このブログは、苦しいパパママさんに向けての「手紙」にしたのです。

結婚当初は、息子との葛藤の日々がありました。
僕という「存在」が、息子を苦しめました。存在すらダメだったんです。僕は、「そこにいてはいけない人」だったんだと思います。

そして、息子だけでなく、息子と僕の関係が上手くいかないことは、再婚した妻を苦しめました。

「息子のために結婚したのに、息子を苦しめている」

理想的な関係を夢みた妻にとっては、それこそ悪夢を見ているような心地だったわけです。
その結果、妻は精神的にも病んでしまいました。

「お前のせいで、私たちは不幸になった」
とまで、僕は妻に言われました。

妻との関係も壊れていく…本当に辛い時間があり、そこは暗闇で、光など見えない日々でした。夫婦の喧嘩というのは本当に泥臭い世界でした。妻に土下座したこともあるし、「もう、勘弁してくれ」と懇願したこともあります。

車中泊をしたこともある。車内で怒り狂ったこともある。車の中で、上手くいかない自分を罵って、叫んだこともあります。逆に、泣きながら震える妻をみて、慰めて抱きしめたこともあるし、でも、それを見ながら「めんどくさい」と思ってしまい、物凄い罪悪感で自分を軽蔑したこともあるんです。

自分を自分の考えていた「夫」「父」の姿とは、ほど遠い、情けない自分。
理想とは、ほど遠い家族。
正直、柔らかな未来は、想像が全くできませんでした。

子供のことを想い、泣き叫び、身体が動けなくなるくらい精神的に参ってしまう妻をみました。これほどまでに「苦しい」ということが理解が出来なかった自分が、そこにいました。正直、他人事だったんじゃないかな?と思います。子供を発達障害と言われて、子供を支えるママの辛さを、理解したと大きな勘違いをしていた自分。それを、どうして理解が出来ないのだと、感情的になっていた妻。でも、その狭間の中で、夫婦間は距離が離れていきます。


僕自身は、10年前、発達障害児については、全くの無知でした。
勉強したつもりでしたが、そんな勉強はリアルさにかけるものでした。勉強では、「内面の苦しみ」は分からない。座学なんかじゃ、理解ができない苦しみです。

今は、少しだけ成長したかもしれないけれど、きっと無知のまま。
僕は、このブログを作るけれど、あなたと何ら変わらない発達障害児のパパです。
僕は福祉業が長くなりましたが、支援者と保護者は別世界です。

医師に言われても、学校の先生に言われても、放デイの先生に言われたアドバイスでも…
「そうはいっても…毎日休む間もなくて」と思う時がある…
「誰も理解してくれない」と悩む時がある…そんなパパなんです。
そういった保護者さんが多いのではないかな?と思います。

発達障害児家族ってそういうもの。
日々の日常の生活をこなすのは、たやすくない。
理想論だけで済むことも少ない。
良い時もあれば、悪い時もある。
というか難しいことが多い。悪い事と表現するのはどうかと思うけど、そういう時も多い。

僕は「あなたの家族」を理解できるでしょうか?
理解などできないでしょう。

だって、その家族の日常は、そんな簡単なものではなく、奥深いはずです。より幸福だったり、より不幸だったり。「お前に分かるか!」と言いたくなったり。簡単に「理解ができる」なんていう人がいたら、僕は、その人を信用しない。

支援者が「理解が出来ます」というなら、それは嬉しいことのようで、嬉しいことではないんです。
僕らは、そんな浅い日常を過ごしていない。そう、僕は思います。

このブログは、結婚当時のうちのママを思い出しながら、
自分が「反省」したことや、経験の中で感じたこと、ある人から言われたことで「救われたな…」と思った経験を書きたいと思います。そして、今まさに、発達障害児子育てに悩む保護者さんへ送る手紙です。

シンプルに言います。
元気をだしてほしいんです。

辛そうな話をXで見たり、近所で聞いたり、子供のイベントで苦しそうなママ友の顔を見るたびに思い出すんです。苦しかった頃の自分たちを。そして、自分も苦しいのです。そして、よく分らんけど、涙が落ちそうにもなるんです。
だから、シンプルに。

「大丈夫。あなたは、素晴らしい。大丈夫、元気をだして」

「支援者ではなく、一人の親として何を伝えるべきか」を考えてきたので、それを思う存分、書きなぐりたいと思います。AIには考えられない世界を描きたいのです。

このブログは、発達障害児のパパママさんで「悩んでいる方への手紙」です。
良い未来を想像できないでいるなら読んでほしいと願っています。
厚かましいと思う方、気に入らない方もいるかもしれないけれど、
僕は僕なりに伝えたい気持ちを素直に記載したいと思います。

このブログは、見えない誰かではあるけれど、障害児子育てに挫折しそうだったり、不安だったり、悩んだりしている発達障害児のパパママさん、あなたのために書く、未熟な僕からの手紙です。

「自分を攻めすぎないで」

障害児の子育てで、自分を攻めるようなことをしないで。
「苦しい」と泣くことがあっても、
「私が悪い」なんて言葉で、自分を攻めないで。

まずは、そのことを大切にしてほしいと思います。
泣きじゃくることも、子供に暴言を吐いてしまうことも、子と一緒に逃げ出したいと思うことも、
きっと間違っていないです。あなたは、1人の「人」です。1人の「親」です。

それらが、「あなたを攻める要素にはならない」と思います。

自分を攻めることは、子育てにおいても足かせにもなります。
動けなくなるんです。
あなたは、何も悪い事していないのに、自分を攻めることで前向きな気持ちを失います。
それが、余計にあなたを苦しくします。

自分を攻め続けた妻…そこを抜け出すことの大切さ


今まさに、眠らない息子、夜中なのにドタバタしている息子に疲労困憊しているパパママさんがいる。
今まさに、心療内科で診断をうけて、病院の通路で茫然としているママがいる
今まさに、保育園の先生から忠告を受けて、作り笑いで帰路。その帰路で、限界がきて泣いているママさんがいる。
今まさに、ママ友から慰められたのに、なんだかみじめで悔しくて、その場から逃げ出したいと思っている人がいる

そういう想いに、
僕は「何か出来ないだろうか」と考えます。

それは、僕らが通ってきた道だからです。
経験者だから、伝えられることがあります。別に上から目線ではないです。共感できるのは、当事者だけだったりします。表面ではない、もっと奥にある、心の流れは、当事者にしか理解できないものです。

僕は、悔しそうに、「なんで、なんでなの!なんでうちの子なの。私が何かしたの!」
そんな言葉を吐き出していた号泣した妻の側にいました。

「もう、誰もいないところに、一緒に連れっててよ」
と、泣きながら、僕の胸を叩いてきた妻がいました。

息子に手をあげそうになって、その手をおろして、膝から地面に落ちた妻を…僕は見ました。

娘に診断が降りた時、息子が文化祭の劇に1人だけ舞台に上がれない時、運動会で(走れるのに)苦痛に満ちた顔で歩いている息子をみた時…妻は胸にナイフでも突き刺されたような顔で俯いていました。

そして…
「パパ、助けて」と言ってきました。

苛立って、泣いて、くじけて、
周りを見て更に落ち込んで、
でも、勇気を拾いあげて、そして、また落ち込んで。

全部、現実にあったことです。
あの僕のひざ元で、僕の声が届かず、ただただくちゃくちゃの顔をして、
泣きじゃくる妻を…僕は忘れられません。


本当に「辛い」気持ちを理解できる。
あの経験は、昨日のことのように思い出せる。

だから、伝えたい。
知っておいてほしいこと。

「あなたは悪くないです。どんな形であっても、どんな子育てをしてしまっても、あなたは悪くない」
そこを見つめて、前向きに子育てに向き合ってほしいです。
その邪念みたいなものに押しつぶされないで。

その悩みの強さが、きっと未来を変えてくれる時がきます。

嘘でしょ?
そう思うかもしれないけれど、きっと未来は変わっていきます。

僕は、あなたの具体的な苦悩は何も理解できないかもしれないけれど、
どうやら、「その辛さの重みだけは理解できるのではないか?」と考えます。
いや、それも錯覚かもしれません。

でも、出産というのは、最も「幸福」なライフイベントなのに、
子供が生まれての幸福感の中、
子育て中に少しの『違和感』を感じ、
そこから、不安になりながら受診…
そして、「障害」という難しい問題に直面する。

発達障害児の親は、もっとも幸せを感じる瞬間から、
たったの2年ほどで、まだ、子供がかわいくて仕方ない時に、
真逆の地底深くまで蹴落とされ、苦しい現実を突きつけられます。

その苦悩の重さは、表現できない苦悩です。

しかも、その後も「障害で産んでしまってごめんね」という、子供に対しての罪悪感に打たれながら、
上手くいったと思っても、すぐに失敗に感じて、自分の子育てに正解を見いだせず、
葛藤しながら…それでも難しい子育てをしていく。

障害児の子育てで、親は、障害受容を何度もしていきます。
何度も勇気を振り絞り登り、でも、何度も現実が押し寄せて、蹴落とされる。

耐えがたい苦悩の中で、
今にも、「どこか遠くにいきたい」と考えてしまう。
その「どこか」も人それぞれ。

自分の生まれた所なのか?誰もいない所なのか?誰か信じれる人のそばなのか?

「子供の手を離さないで一緒に」と思ったり、逆に「もう限界。1人にしてよ」と思ったり。
逃げ出したい先は分からないけれど、1人だけで逃げるのかも分からない。
でも、落ち着いた時、子供の顔を見ると逃げ出せない。
それを八方ふさがりのように感じることもある。

逃げ出すことさえ、選択肢に持てないことは苦痛でしかありません。
それほどに、追い込まれるのが、発達障害児の子育てです。

発達障害児のパパママさんも、1人の女性。

ただ、僕は思ったんです。また、支援者として働きながら、思うんです。

ただ、そういった人たちも、今は、親という役割を演じているけれども、
実は、数十年前?十数年前?は、少女だったり、少年だった
と…

僕は妻がカサンドラ症候群になって、疲弊していく姿を見て、
更には、暴言が酷くなり、僕は攻め続けられました。
でも、それと、同時に「本意じゃない」「本当の彼女は違う」と映り、
僕の膝元で僕の足を掴んで泣きじゃくる妻を見た時、僕の頭の中では、1人の「少女」を感じたのです。


妻の実家に、妻の精神状態の相談をしにいった日。
その時に、飾ってあった妻の少女時代の写真。
目の前に泣きじゃくる妻が、少女に感じられて、まるで、ひざ元に少女が泣いているように見えたのです。

あ…この子は悪い子だろうか?
何か悪いことをしたのだろうか?


僕ら、発達障害児のパパママさんは、
少女少年時代には、誰だって「幸せになりたい」と思っていた。

良い旦那さんに出会って、良い家族を作って、
それで子育ての幸せを感じている。それを夢みてきた少女。

そんなこの子は悪い子だろうか?と。

何もわるいことなんてしていない。

文章にあった読者がイメージしやすい画像(ジェミニで作成)

ただ、現実は厳しい。
家計もそうだし、相談できるはずの旦那さんは子育てには見向きもしてくれない、孤独な子育てをして、
それでも、子供は…ママの想いとは異なる方向を進んでいく。
パニックになって大騒ぎの子供を見て、「なんで、あの親は上手く育てられないのかしらね」と、何も分からない人たちの声が耳にこだまする。

周りの子供たちが、成長していく中で、
お喋りが出来ない自分の娘を抱きしめながら「大丈夫だよ」と抱きかかえながら泣いてしまう。

周りのお母さん、障害をもつ親同士なのに、障害の程度は違うから、障害のある他の子まで羨ましいと感じてしまう。そんな自分が嫌で嫌で、それで、更に自己嫌悪に陥る。

周囲の視線がナイフみたいに怖い。
周りの子と違って、自分の子だけ走り回る。
「走らないって約束したじゃない!」
と強い口調になってしまって、怒った自分を情けなく感じたり、後悔をする。知らないうちに、周りを気にしたり、謝罪ばかりしている自分がいる。だから、自分を信じれなくなる。でも…

あなたは、何も悪いことはしていない。
しあわせを夢見て、出産をした。そして、日々の子育てに奮闘している。それの何が悪いのか?

少女時代、少年時代に夢見た世界と現実が異なる。少女が夢見た世界と似ているけれど、全く異なる世界。
「しあわせ」の中には、障害というものを想像していなくて
それが現実と突きつけられたように、今の子育ての日々を過ごしてく。

これが苦しくないなんて…
誰が言えるんだ?

逃げ出したいのを、
「親なんだから」の一言で済ませて良いわけがない。


苦しみの中で、もがいて、叫んで、泣いて…
それを誰が間違いだと言えるんだろう?

それで、それほど苦しい思いをしている人を攻めることなんて出来ない。


悩んでいるママやパパは、
子供を心底、愛している。
愛しているから、苦しい。

だから、「あなた自身を攻めすぎないでほしい」僕はそう思います。
あなたは、立派に子供産んで、可愛い子を育てている。

難しい子育ての中で、自分自身を見つめながら、自分の無力感に打ちひしがれながらも、
子供のために、落ち込んでは前を向き、頑張っている。
そんな素敵なママだから、自分を悪者に見立てて、自分を攻める必要はないんです。

僕ら、発達障害児に関わる人間は、もしくは、同じように発達障害児の親は、
あなたをダメなママなんて思わない。

子供の視点にたって、子供の未来を案じて、子供の今の苦しみを見つめて、
必死に頭を悩ませて、どうにも出来ない無力感を感じているあなたが、
子供を思っていないわけないじゃないですか?
子供を愛してないわけがないじゃないですか?


だから、そういった一喜一憂があったとしても、
自分を攻めすぎないで欲しい…僕は、深く、そう思います。

あなたは、頑張っています。
あなたは、素晴らしいママです。

「大丈夫、きっと未来は変わる」

作者の家族写真、独自画像を数個ならべています

僕は、結婚して家族が崩壊しそうな時、
妻に怒鳴られて、貶されても…
妻からの「離婚」という言葉にだけは、首を縦に振りませんでした。

もちろん、くじけそうになって、投げやりになりそうになったことは、何度もありました。
特に子供との関係性が維持が出来なかったり、
「息子に嫌われたら終わり」という崖っぷちに立たされた心境で息子の言動に怯えながら、子育てしているときは、本当に苦しかった。

でも、その時に、自分を支えてくれたのは、
「今が一番つらい時」という言葉でした。

この言葉に、僕は支えられていました。

僕は、昔から、「いつか、きっと」という言葉が好きでした。夢を抱き、少し野心のようにも思える、その言葉。今は耐えしのぶ時、でも、いつか未来は変わる。そんな風に思える、「いつか、きっと」という言葉が、未来を変えるきっかけになるような気がしていたのです。
だから、「今が一番つらい時」と、そう考えられたのだと思います。

それと、そんなきれいごとだけでなくて、僕は、辛くても、逃げ出すことの方が、よほどに怖かったのです。
臆病者。

「あんなに時間をかけて(僕の親に障害児のいるママと結婚すると)親を説得して、親戚からの反対にも理解を求めたのに、結婚してすぐに離婚なんて言い出せない」とか、姑息に考えてもいました。
自分は成功者でありたい。そう思ってきたけれど、負け犬になるような気持ちでした。

善人ぶってるけれど、逃げ出したいと思っているじゃないか!
自分に対しての嫌気。自己嫌悪。自己否定。


そして、子育てにおいても、失敗ばかりです。
上手くいったはずだったのに、すぐに、それが上手くいったが故に、別の問題が出てくる。発達障害児の子育ては、そういう子育てです。

苦しくて、車の中で、発狂して「もう離婚だー!あんなガキの親になって何になるんだ!」
と大声で叫んだこともありました。
「なんで俺がこんな目に」と、他責思考で考えてしまうこともありました。

でも、ふと、優しかった頃の、妻の顔や、息子の笑顔が脳裏をかすめて、
「ここで逃げ出したら、一生、後悔する」と考え、我に帰る。
その考えが行ったり来たり…それは、「葛藤」そのものでした。

それで、切り替えたんです。
逃げ出して、一生後悔して、十字架背負って生きていくのより、「こいつら、全員、幸せにしてやろうじゃないか」と。「覚悟」「決意」「使命感」、そんな感じです。

それまでは、きっと決心しているようで、決心が出来ていなかったんです。凄く弱い決意。
ただ、その時の決意は、そこまで境地に追い込まれた時の決意は、今もしっかり胸に刻まれています。今も大事にしている決意です。

その当時、考えて、妻にも伝えていたのは、
「俺が憎いだろうが何だろうが、絶対に幸せにする。10年かかるかもしれない。でも、絶対、結婚して良かったと思って貰えるようにする。僕らにとって、今が、一番苦しい時。ここを乗り越える。結婚してすぐにきた一番つらい時。それが、結婚して一年目。最初で良かったんだ。そう考える。これからの未来は明るくなる。明るくする。まずは、今を耐え忍ぼう」ということでした。

それでも、そう簡単に妻の気持ちが割り切れるわけもなく、僕は、どんなに努力しても攻められる毎日でした。
妻は、病んでいきました。精神的に、崩壊近くになっていたのです。

でも、僕は諦めない。

離婚届に、妻の名前、印鑑…それを突きつけられる。それでもあきらめない。離婚に首を縦に振らない。時に、「分かった。離婚しよう」そんな気持ちになる。でも、ぎりぎりで耐え忍ぶ。

息子は、僕が帰宅すると、
どでかい音がするくらいの勢いで扉をバタンとしめて自分の部屋に入って出てこない。
「クソガキが」と思わないわけではない。
自分も人間。小さな子供をコントロールさえできない自分。自分があまりに情けない。
僕がイメージしていた息子との関係性、それは絵空事でしかなくて、
現実と大きくかけ離れていて、心がくじけそうになる。

でも、諦めない。

それは忍耐力もあったのかもしれないけれど、僕はたぶん、その言葉に支えられていました。

「いつか、きっと」
「今が一番つらいとき」
「長い目線で」

だから、今、悩んでも、僕はここに立ち戻ります。
今も、息子には困らされること、未来が心配になることが、山ほどあります。

でも、5年後…という感じで長いスパンで物事を動かす。「いつか、きっと」より幸せになる自分や家族を想像する。そうして、前を向いて歩いているのです。

僕ら障害児の親は、「障害受容は何度も繰り返さる」ものです。
先日だって、僕は、くじけそうになりました。

ちょっとした注意をした際に、息子に右目を殴られて、目は腫れ、痣。暴れないように、押さえつけようとした際に、右手の小指が骨折です。その時の落胆。息子が障害があると再認識。

先日なんて、息子の薬の増量を宣告されて、「今まで自分が努力したことはなんだったんだ?」と悩みに悩み、落ち込みました。努力をすべて壊されたような感覚。それを受容していかないとならない。

障害児の親は、いったん自分の子供の障害を受容したとしても、
くじける瞬間が多すぎて、そのたびに、
「もしも、障害がなかったら」を考えてしまったりします。
そして、そう考えても現実は変わらない。
だから、現実をまた受容して、立ち上がらなければならない。

だからこそ、「どっかで自分を支える言葉が必要なんじゃないか?」と僕は思います。

子育てが上手くいかない。
でも、僕は、呪文のように考えます。

「だいじょうぶ、今は辛い。でも、未来は変わる。今が辛くても大丈夫。長い目線、長い目線」

障害だから、「治る」わけではないけれど、
未来は変えられると信じて、子育てに向き合います。
変わる、変わらないの現実が大事ではなく、未来を変えられる、変わっていくと信じること自体が大切です。

あなたのお子さんも、今は気付けないかもしれないけれど、必ず、成長します。
未来は、絶対に変わります。


「必ず、幸せになる」と信じてほしいと、苦しい時ほど、そう思えない時ほど、
あえて、嘘でもいいから、そう言葉にして、発して欲しいって思います。
そして、その幸せの中に、きちんと、自分を含めて欲しいのです。
子供だけではなく、自分の幸せも…です。

不思議ですが、いつしか、そう本当に思えるようになるのです。望んだ形の「しあわせ」ではないかもしれないけれど、違う形でも「しあわせ」を手に入れられたりします。

小さな幸せに気付くようになる…そんな感じの気がします。

多くの障害児のパパママさんは、そこを見落としてしまうから、幸せを感じれない時が多いのかもしれません。でも、実は、不幸なことばかりが邪魔して見えていない「しあわせ」がたくさん、足元に落ちています。

周りの人をうらやむというのは、周りの人の幸せを見つめています。
それは勿体ないことです。自分の幸せが、沢山、散らばっています。それを見つめて欲しいです。周りではなく、自分を見つめる。周りではなく、自分の子供だけを見つめる。

きっと、その周りには、「しあわせ」に感じれるものが、案外に見つけやすいように咲いています。


周りが気になるときは「望遠鏡」を覗いて

子供と親の愛情を感じる写真

他人と比較して寂しい気持ちになる。
お遊戯会をぶち壊さないで…と願うような気持ちで見つめる。
楽しみにしていた遊園地で奇声をあげて逃げ出すように帰る。
周りの人たちがどう思っているか気になる。

それは、仕方のないことです。

でも、望遠鏡で覗き込むと、自分の子しか映らないのです。
集中して、自分の子を見つめていけば、周りは映らない。

お遊戯会の時、スマホで動画撮影。
自分の子供を拡大する。
その動画からは、周りの人が消えていく。


それで、良いじゃないですか?

そうしましょう!!望遠鏡でお子さんだけを見つめましょう!
そんなこと言われたって出来ない。そう思うかもしれませんが、出来ます!
だって、スマホのカメラという機械が出来るんですよ。
絶対にできます。周りなんて、気にしない!!僕は強く伝えたいです。

もちろん、謝罪が必要な時、
迷惑をかけた時は、そうは言ってられない。
謝ることは大切。
人に迷惑をかけて、「障害だから仕方ないだろ」と思うのは間違い。

ただ、悪意ある人の言葉や視線に怯えないで。

他人なんて、しょせん、他人です。
他人はあれこれ言いますが、家に帰ってまで、あなたの子供のことを考えてくれるわけではないのです。文句だけ話して、すぐに忘れる。そんなものです。
文句を言ってくるような人間関係の中で、常にあなたのことばかり考えている人なんて、絶対にいません。
文句を言って、すぐに忘れているんです。

相手は、10分程度の文句。
でも、言われたあなたは一日中悩む。


これは、不公平です。

そんな人のことで、心を支配されないで
とにかく、自分の子の成長を見つめてほしい。
そういう時ほど、我が子をズームして見つめる方が良い。


これは、昔、周りと比較してしまう妻に、
僕が言った言葉を、そのままここに書いています。

この見出しの内容にそった画像。子供をレンズで覗いている時には、周りの声は気にしないで良いというイメージ画像になります。



ほんのちょっとの成長でも見逃さないぐらい見つめてほしい。
そしたら、周りの言葉なんか、どうでもよくなるから。

人と異なる成長であっても、
その子なりに成長していることを、
親の僕らがしっかりと見つめてあげることが、
そして、その成長を子供と一緒に喜び、
親が笑顔で褒めてあげることが、「子供の喜びになる」ということを忘れないでほしいのです。

子供は、あなたに褒められるのが一番うれしいんですから。
あなたに褒められたくて仕方ない。だから、「見て!見て!」と洋服を引っ張るんですから。
そんな我が子を、ズームしてしっかり見つめましょう。

「子供の持つ力を信じる」ということ

妻から聞いた話になります。
支援者の方と話をしていた時に、やはり「嬉しかったな」と思うことがありました。

「息子さんのあの状態からここまで成長したのはすごいですね。何のおかげだと思いますか?」と言われた妻は、支援者の名前をたくさん言っていきました。

放課後等デイサービスの先生、
お医者さん、
家族、
特別支援学校の先生…

そんな感じで答えていきました。
ところが、その支援者の方はにっこりしながら「1人忘れていますね」と言いました。

妻は首をかしげて、誰だろうと考えていましたがわからずに、「誰でしょうか」と聞きました。
すると、その支援者の方は
「お子さん自身ですよ」と言ってくれたのです。

「〇〇君はゆっくりながら、〇〇君の脳がしっかりと成長しているんです」
と、おっしゃってくれたのです。

僕らは日常の中で、親でありながら、1番身近な支援者であって、日々翻弄されています。
そして多くの方々が、本人を取り囲んで、その成長を支えています。

実は、そこが落とし穴で、
本人が成長しているということを、僕ら親は知らないうちに忘れてしまっているんです。

こども自身が成長していること、
こども自身が頑張っていること。
こどもの体だけでなく、脳も成長していること。

親として、「我が子が自分自身が成長している」というのは、本当に嬉しいことです。

子供がしっかりと前を向いて、
悩ましいことがあっても、
少しずつ成長している…
パニックみたいに、
もしくは叱責されて泣いたりしても、
苦しいことに直面しているだけではなくて、
その子なりに「乗り越える道」を学んでいる。

僕らだけの力ではなく、
支援者だけのおかげでもなく、
その子自身の努力を知ってほしい。
その子の成長も見つめて欲しい。

つらい癇癪は見ていて悲しく、苦しいものですが、「いつかきっと」落ち着ける時も必ず来ます。頻度も変わります。それは、お子さん自身も、そういった辛い中でも、きちんと成長しているんです。

そこを、僕ら夫婦は見落としてしまったけれど、皆さんには、お子さんに対して忘れないで欲しいなと思います。あなたのお子さんも、絶対に、成長しています。僕らみたいに失敗せず、「見つめてあげてほしい」って思います。

「愛情は、伝わる」

僕は、ある支援者の方から、救われた言葉があります。


「あなたの愛情が届きますよ」


それはどんな場面で言われたかというと、初めて「息子を本気で叱ったとき」のことでした。
結婚して3ヶ月、つまり特別養子縁組として息子を迎え入れてから3ヶ月くらい経った時に、息子があることで癇癪になり、自分の首元にハサミを向けて泣き叫んだ時でした。

僕は咄嗟にハサミを取り上げて、初めて息子を怒鳴りました。それまでは、どんな嫌なことがあっても、困っても、息子を叱ったことがありませんでした。

でも、その時は、
体を押さえつけて、叫ぶように言いました。


「こんなにパパが愛してるのになんで伝わらない!こんなにママが愛しているのになんで伝わらない!そんなことをして、パパやママがどんなに悲しむことがわからないのか。これだけは許せない。君の命は僕の命よりも大切だし、ママもそう思っている。二度と、そんなことをするな!」
僕は大声で息子にそう伝えました。

それから数時間が経ち、
息子も落ち着き、妻もその姿を見ていたので、不安そうな顔しながらも、息子の気持ちに寄り添っていました。

ただ僕の気持ちは、まだパパになって間もない時でしたから、
「息子との関係性が壊れた…」と思って、落ち込んでいました。
落ち込んでいたと表現していますが、実際には、「絶望」を感じていたのが、本音でしょう。「これで、終わってしまった」と思っていたんです。

というのも、その当時は、僕は発達障害について勉強していたのですが、「発達障害児に叱るのは厳禁で、叱った内容等は頭に入らず、叱った人の怖い顔だけが印象に残る」というのが僕の頭の中にあったからでした。

当時は、一度関係性が壊れてしまえば、修復は難しいだろうと思っていたのです。

「息子との関係性が完全に壊れたのではないか」と思い込んでしまい、口も聞けないくらい僕は落ち込んでしまいました。数日間、とにかく落ち込み続けました。

ただ、ある日、当時住んでいたマンションの前の道で、たまたま放課後等デイサービスの送迎をしていた(僕が尊敬していた)指導者の方が道を通りかかりました。

「〇〇さん」

僕に声をかけてくれたので、僕は元気なく挨拶をしたところ、車からわざわざ降りてきてくれて、僕の話を聞いてくれました。包み隠さず、自分の気持ちを伝えました。

その時にその方が、「あなたは息子さんを愛してるんですよね?」と言ってくれて、

僕は、「はい…もちろん」と答えました。

すると、その指導者の方は、
「大丈夫ですよ。あなたの愛情はきっとお子さんに伝わりますよ」
と言ってくれました。

僕自身は、その指導者の方が地域でも有名な発達障害に詳しい人だったので、また、自ら、他で断られるような重度の子ばかりを引き受けるような…心の優しい支援者の方だったので、その方からそう言って頂いた時、その言葉は、僕の中で「勇気」に変わりました。

「愛情は、伝わる」

単なる知識やノウハウではなく、感情がしっかりと伝わる。何か、その方にそう言われた時に、「息子にもっと愛情を伝えていきたい」そう、素直に思えました。

その後、僕は、放課後等デイサービスで働いていましたが、軽度の子でも、重度の子でも、言葉が話せる子であっても、話せない子であっても、愛着障害の子であっても…正しい向き合い方をしていけば、「愛情はどんな子にも伝わる」と、僕はそう信じています。

愛情が伝わったと感じた重度の子のエピソード


保護者さんの中には、
もしくは、支援者さんの中にも
重度の子には、「愛情と言うのは伝わらないのではないか」と思う人もいるかもしれません。
でも、人間関係の中で、子供と向き合ったときには、必ず互いの愛情を感じる場面があるはずです。

時に、「話せない=理解ができない」と勘違いをしている人がいます。
でも、多くの場合、話せないからこそ、日々を不安に感じることが多いからこそ、子供たちは周りの人の気持ちを感じようとしています。その繊細さ、周りを見る力は凄いです。

愛情を感じらない子は1人もいない。
愛情は伝わる。
そう思って欲しいなと、心から思います。

ママが泣いていても、気にせず遊んでいる子ならば、親は「なんでわかってくれないのか?」と思うことがあるかもしれません。

でも、だからといって愛情が伝わっていないとは言い切れないです。
そして、優しさがないとも言い切れない。


僕は、放課後等デイサービスの中で、そういったことを感じる事例が数多くありました。

特に感じて大きかったのは、他害行為のある子と向き合っている時でした。
言葉もなく、すぐにつねってきたり、ぶったりしてくる子。他害が酷い子でした。
急にトイレットペーパーを食べようとしたり、トイレに座ってくれて陰部を抑え「大丈夫だな」と思っていたら、急に立ち上がってびっしょり…失禁…散歩にいっても、草を食べようとしたり、地面に寝そべってしまうような子でした。

他の職員は、怖がります。
その他害も力加減が出来ないので、怖かったのでしょう。

でも、毎日一緒にいる日々の中で、しっかり愛情が伝わっていると思えることが沢山ありました。みんなが怖がるその子を、僕は大切に思っていました。いつも、怖がらず笑顔でそばにいました。「君が大好きだよ」と何度も伝えていました。散歩にいって、その子が寝そべってしまえば、僕はその横で一緒に寝そべりました。いかに、笑わせるか?を常に考えて、接していました。当然に、結構痛い他害もありました。でも、僕は、「無視」をし続けました。

高校3年生だったその子が、僕の勤めていた放デイを卒業する日。短い関りの、短い期間ですが、一緒にいた濃度が濃かった。色んな大変なこともあったのが事実でした。だからこそなんでしょうか?僕は、色々なことを思い出して、自然と涙が溢れ出ました。

その日は、僕は悲しくて、切なくて、その子と別れたくなかった。
「〇君が、来なくなると思うと寂しいね・・悲しいね…」そう言うと、
その子は、僕の頭を撫でてきたのです。
僕は、正直、驚きました。
泣いている自分が顔をあげて、その子を見ると、ニコニコしていました。
僕は、「その優しさ」に胸を打たれて、更に泣いてしまいました。

あ、伝わってる…

重度の子は、生活面で不安が多く、望み通りにいかないだけでも他害が出ることがあります。でも…自分より弱くなっている人の前では、優しさが溢れ出ます。彼と別れるその日、僕は、明らかにその子よりも弱かった。だから、きっと、僕の頭を撫でてくれたのでしょう。
その優しさに僕は心を打たれました。

愛情が伝わることが、子供の自立を支える…親子の愛着形成について

あなたのお子さんは、ちゃんとママを見ているし、ちゃんと愛情を感じています。
そして、その愛情はいつしか、子供が自立をしていくときの…その子にとっての、「栄養」になります。
必ず「心の中の支え」になるものだと僕は思います。

そばにいなくても、何かをしようとしたときに、優しかったママの顔が浮かぶ。
当然に、ママの方では、子供の心の中を覗き見ることはできませんから、
その子の心の中に、「ママの顔が浮かんでいる」なんて考えもしないのかもしれませんが、
でも、きっとお子さんの心の中には、そういったママやパパの顔や仕草が残っていくものだと思います。
子供たちの記憶力はすさまじいのです。

僕ら自身が、「何か悪い事をしよう」とした際に、親の顔が浮かびませんか?
辛いことがあった時に、自分の親の言った言葉を思い出したりしませんか?
僕らだって、知らないうちに、そういった見えない糸で繋がっています。

何があっても、愛情を注いでくれたパパやママの顔を、心の支えにして生きていきます。「傍にいる」だけではなくて、傍にいない時でも互いに影響しあう。それが、愛着の形成です。

そして、「その愛着があるから、親なき後にも、障害のある人も自立して生きていける」と僕は信じています。



将来に対して不安になる事はたくさんあると思いますが、
お子さんのそういった気持ちを信じて、一緒に頑張っていきましょう。

愛情を残してあげましょう。
きっと、伝わり、きっと、心に残ります。

そして、きっとそれが親なき後の、お子さんの「生きる支え」になります。

僕は、宗教家ではありませんし、医師でもありません。
でも、だからこそ、発達障害児の親として、しっかり伝えたいと思います。

あなたの想いは、
必ず、お子さんに伝わります。

最後まで読んでくれてありがとう

僕は、感謝します。
こんな男の文章を最後まで読んでくれて、心から感謝します。しかも、長い(笑)申し訳ない心境です。

僕も、発達障害児の父親です。
いつも、父親として、どう生きるか?に悩んでいます。
そんな悩みを抱えて、悩みを持ち続けて、解決だって出来ない事も沢山ある…
そんな情けない父親の文章を読んで貰える…
そんな有難いことがあるでしょうか。

僕が伝えたいこと。僕からの手紙は、これがすべてです。

「あなたは、悪くない。あなたは、素晴らしいママ。自分を攻めすぎない」
「望遠鏡で、自分の子だけを見つめよう。周りを気にしない」
「子供は、子供自身でも成長していく。子供の成長を見つめ続けて」
「愛情は、伝わる」
「大丈夫。きっと、未来は変わる」


このことを信じて貰えたら、本当に嬉しいことです。

最後に、手紙として。

誰が何と言おうと、あなたのお子さんにとって、あなたは世界でたった一人の、最高のママです。
最高のパパさんです。

答えが見つからなくて、真っ暗なトンネルの中にいるように感じる夜もあるでしょう。
でも、そのトンネルを一緒に歩いている僕らのような仲間が、ここにいます。

子供の成長を信じる前に、
まずは頑張っているあなた自身を信じて、認めてあげてください。

大丈夫。

あなたの流した涙も、振り上げようとして降ろした手も、届けた愛情も。
怒ってしまって後悔した日も、逃げ出そうとしたことも、怒鳴ってしまったことも、
体が動かせなくなるくらい悩んだことも、
その日常すべてが、お子さんの未来を作る「光」に変わる日が、必ず来ます。

あなたの明日が、ほんの少しでも穏やかであることを願います。
あなたのお子さんの毎日が、
クスって笑ってしまうような、そんな優しい微風に包まれる毎日でありますように。

僕も、頑張ります。
一緒に頑張りましょう。
本気でダメだと思ったら…一緒に考えましょう。

それでは、長いblogを読んで貰い、ありがとうございました。




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