自閉症児パパ日記 息子編 令和6年6月1日「中学3年生の運動会」自閉症パパ日記 

家族の記録

うちの息子の運動会の話ですが…ちょっとその前に、息子のエピソードも踏まえて雑談です。

先週は、自分の子供の運動会ではなく…放デイで運動会の応援に行きました。その中で、前に自分の息子が通っていた学校の運動会に行ったんです。前のママ友に会い、「あ、〇〇さん…」みたいな所から会話が始まりました。実は、「僕が放デイの迎えに行くと〇〇ちゃんを見るんですよ。あ、と思い、声をかけたいんですが、崩しちゃうと悪いから話しかけないですね」と伝えました。

運動会が始まると、徒競走でそのママ友の子が走っています。素敵な光景なんですよね。この学校を去ってから、早4年がたっている。「小学校5年までは息子はここにいた」そう思うと感慨深いものがあります。

あの頃の息子…本当に逃亡犯のごとく、しょっちゅう教室からいなくなっていたし、それに行事ともなると大騒ぎでした。3年生くらいまでは頑張れていたんですが、小学校4年生くらいから難しくなってきていました。小学校6年生の途中でまだ引っ越しが決まっていなかった頃は、入学説明会にその学校にも行きましたが、ママが泣いて帰ってきたのを覚えています。言葉がある息子ですが、大騒ぎで落ち着いていられず、そういう子がうちの息子くらいだったので、ママは「特別支援学校の中でも、うちの子って…」と落胆したんですね。結果、今の学校に中学生からはお世話になることになったのですが、本当にこの学校に来てよかったと思えています。

先生方…みんな優しい。それが僕らの救いです。それは、運動会の成長の中にも見て取れるものです。さて、本題の運動会です。

①参加できているだけで泣いた中学1年生の運動会

②参加して一番になる喜びを担任の先生と分かち合えた中学2年生の運動会

※ちなみにその内容は↓

それを経て、中学3年生の息子の今年の運動会は泣かずして、笑顔で終われる運動会になりました。

運動会の序盤から感動していました。実は、今回の前に「ここのこ(仮名)」の日曜日サークルを開催するようになったのです。(その内容も一応リンクを貼っておきます。↓)

その上で、会場に行くと…知り合いのママが自分にも増えている現実を感じました。また、放デイの方にも沢山あって、声をかけて頂くようになりました。そして、他の放デイの生徒さんでも、見た事がある利用者さんがとても増えていました。そして、僕の方でもお子さんを知る機会が増えて、その子たちもひっくるめて「応援」することが出来ました。他の子も含めて応援ができる自分に気づいて、なんか幸せを感じれました。本当に知り合いがここ数年で多くなったんですね。

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そして、いざ運動会が開始。息子は簡単に見つけられました。この暑い時でも、息子はこだわりから長袖・長ズボン(笑)見つからないわけがなかったのです。

実は、息子は、今回は難しい局面にたっていました。運動会1週間前までは、練習も頑張っていて、うちでも、「ソーラン節」の踊りを頑張って練習してたくらいです。

でも…ここに来て「鬼滅の刃」のテレビが開催して、日々不穏に。うちの子は、鬼滅の刃が完全拒否で、「鬼」という文字を見るだけで潔癖症(強迫性障害)が強くなり、不穏になるんです。信じられないかもしれませんが、普通にパニックになってしまいます。それほど、嫌な印象がフラッシュバックするんだと思います。そんな息子に運動会のスローガンが「魂」って字を使うことになり…「魂」って字をよく覗き込むと…てな具合です。

完全にうちの息子は混乱状態で、運動会拒否になっていました。もう、起床段階から、送迎の時も、さらには帰ってからも、落ち着きがなく一週間を過ごしてきたんですね。

ところが…運動会当日。

いやいやながら学校に向かった息子だったので、「これは期待してはいけない」とパパとママは覚悟を決めたんですが…

学校が…

「合理的配慮」を発動してくれました(号泣)

小学部・中学部・高等部とある中で、小学部と高等部は誰でも見える所にスローガンの看板が掲げてあったのに、中等部の時だけは、それを外して子供たちからは見えづらい位置に変更してくれていたのです。間違いなく、うちの息子のためだけの配慮です。たった一人の生徒のために、ここまで配慮してくれるなんて…その学校の優しさに感動しました。

それと、昨年まで担任をしてくれていた先生が、応援に来てくれました。もちろん、うちの息子のためだけに来てくれたわけではないでしょうが、息子を一番に見てくれた先生でした。

 競技途中で、息子が僕ら以外に、僕らの方を向かず、手を一生懸命振っていました。その時に、妻と「俺ら以外に誰に手を振っているんだ?」と不思議になり、一生懸命その人を探したんですが気づくことが出来なかったのです。そしたら、帰りにその担任だった先生にお会いして気づいたんです。あ、息子が手を振っていたのは、先生だったんだと。僕らは、驚きとともに嬉しくなりました。

僕は…感動していました。学校にも、その元担任の先生にも…

申し訳ない気持ちにのせて、感謝の文字で脳内がいっぱいになっていました。

それで最後の「ソーラン節」もきっちり踊れた息子です。最後まで力を発揮できたのは、紛れもなく先生方の配慮のおかげです。僕らにとっては、中学3年生ですので、中等部の集大成の行事は思い出の行事になったのです。

『僕らは一人じゃない』『息子には沢山の味方がいる』って感じれる運動会になりました。

これって一番の幸せだと…僕は思うのです。

最後にインスタに載せている動画を乗せておきますね↓




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