僕は比較的、一般的な家庭に育った。親の愛情を感じているし、良い家庭の中で育ったのだと我ながら思う。自分自身が親になり、それを一層に感じる。自分の無力さから、それを知ることになり、子供たちに申し訳ない心境になる。
僕はわがままだった。僕は、大学受験だというのに遊んでいたし、大学に行っても決して真面目ではなかった。それは、親に甘えていたからに過ぎなかった。自分の力で遊ぶだけの余力を作れなかったのに、勘違いをしていた。自分の力でないものに頼っていたのに、自分の力のように感じていた。確かに努力はしたんだけれど、それも計画性のない努力だった。夢もみた。泥水をすするような、這いつくばって進むような時もあった。それも礎になっているんだけれど、それでも親が望んだような人生を歩いたわけではなかった。そんな人生だった。でも…
親から「愛情の大切さ」だけは学んでいたのだと思う。
だから、障害児の父になっても「耐える」ことが出来たのだと思う。自分の親がああいった親だったから、変な過信をしながらも、それが誤解の力であっても、人を守ることなんて出来ない人間なんだけれど、ただ「愛情の大切さ」だけはしみ込んでいた。それは、親のおかげであり、自分が親から得た一番の大切なことであったのではないかと思う。
だから、障害児の親になれた。
どこかでも書いたが、(今の)僕の家族は、そんな余力のある家族ではない。出だしからして、大変だった。子供からも嫌われたし、避けられたし、落ち込まされた。妻からの拒否も入り、喧嘩が尽きない家になってしまった。でも、失ってはいなかったのは、「愛情」だった。だから、「10年後には、誰よりも幸せな家庭になっている。今は、一番つらい時期だ」と考えられた。その考えを頭の中で繰り返して、辛い時期を乗り越えることが出来た。そして、自分が信じた道(結婚・障害児のパパになる道)を正当化できたのだった。
僕は、自分の親に感謝をしている。
もう80歳になった父と母。昔のように「強い父」「優しさが溢れる母」ではないかもしれない。それは、父と母の体のことを考えればわかることだ。痛みばかりが先行している父と母。それでも、根底にある心は変わっていない。
僕の中では、「強い父」「愛情深い母」のままなのだ。
僕は、二人の背中を見つめていた。だから、障害児の父になれた。僕は、信じた道が揺るぐことはなかったのだ。だからこその「今」の幸福があると思っている。
介護が必要になってきた父と母。
僕は障害児の親であるが、介護の必要な親の子供でもある。板挟みになるが、自分自身が決意しないと乗り越えられないかもしれない。これから先…
親に恩返しをしよう。10年後に後悔をしないように。
これもまた、辛い時期を乗り越えた日々と同様に、僕の支えにする言葉。
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